177
 社会 歴史上の人物 桓武天皇 (かんむてんのう)      出典 学習教材の部屋BIGLOBE
      
●活躍した時代   737年〜806年     奈良〜平安時代

●活躍したこと

737年 白壁王(しらかべおう 後の光仁天皇)の皇子として生まれる。

770年 父の白壁王が光仁天皇(こうにんてんのう)になる。

771年 中務卿(なかつかさきょう)になる。

773年 皇太子になる。

781年 桓武天皇(かんむてんのう)が天皇になる。
弟の早良親王(さわらしんのう)が皇太子になる。

784年 平城京から長岡京に都を移す。
平城京は貴族や寺院の勢力が大きすぎて、天皇中心の政治ができないため

785年 早良親王が皇太子をやめさせられる。

794年 平安京に都を移す。
令外の官(りょうげのかん)をおく。・・・蔵人(くらんど)、勘下由使(かげゆし)をおく。
最澄(さいちょう)の天台宗、空海(くうかい)の真言宗を保護する。
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍にする  

801年 蝦夷(えぞ 東北地方)を朝廷にしたがわせるため、坂上田村麻呂を派遣する。
           ↓       
5年後に、蝦夷を平定し支配する。

806年 死 去(70才)


●人 物 評

 桓武天皇は、聖武天皇やそれ以降の天皇によってくずれた天皇中心の政治を、もう一度、再建しようとした。大仏の建設以降、仏教(寺院)の勢力が大きくなり、道鏡のように政治に参加し、口を出す者まであらわれた。このような状況の中で、天皇中心の政治を行うためには、平城京では場所が悪すぎた。平城京には大きな貴族や寺院勢力がありすぎるためである。そのため、それらの勢力から離れるために794年に都を平安京に移すのである。桓武天皇の政治は一時的に天皇中心の政治にもどすことができた。だが、それは一時の光にすぎなかった。時代の流れには逆らえず、これ以後、再び貴族中心の政治へと移っていくのである。桓武天皇の功績は、坂上田村麻呂を蝦夷におくり、日本の領土を確立させたことであろう。


教養の目次へ

トップページへ