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 社会 歴史上の人物 藤原不比等 (ふじわらのふひと)                出典 学習教材の部屋BIGLOBE
   
●活躍した時代   659年〜720年   飛鳥〜奈良時代

●活躍したこと

659年 藤原不比等が大化の改新の立役者の中臣鎌足の次男として生まれる。
藤原不比等は「不比等(ふひと)」の名前に「史(ふひと)」の字を当てている。
「史」は歴史や文学を意味する字であることから、藤原不比等は学問で出世することを望んでいたと思われる。

669年 父の中臣鎌足が功績により藤原の姓をたまわる。
名を藤原不比等に変える。
父の中臣鎌足が亡くなる。

680年 長男の武智麻呂(むちまろ)が生まれる。

681年 次男の房先(ふささき)が生まれる。

694年 三男の宇合(うまかい)が生まれる。

695年 麻呂(まろ)が生まれる。
以上を藤原4兄弟と呼んでいる。

697年 娘の宮子(みやこ)が文武天皇)のきさきになる。

700年 藤原不比等が刑部親王(おさかべしんのう)とともに大宝律令の編集に取りかかる。
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藤原不比等がその才能を認められ、頭角をあらわす。

701年 大宝律令が完成する。
娘の光明子(こうみょうし)が生まれる。
         
【大宝律令(たいほうりつりょう)】
律(りつ) … 刑罰(けいばつ)をきめた法律
令(りょう) … 政治の基本をきめた法律
この律と令に基づいた政治を律令政治という。
        
708年 藤原不比等が右大臣になる。
お金の和同開珎(わどうかいちん)が出る。

710年 都が平城京に移る。 → 奈良時代が始まる。

716年 娘の光明子が首皇太子(おびとこうたいし のちの聖武天皇)のきさきになる。

718年 藤原不比等らが養老律令(ようろうりつりょう)を完成させる。

720年 死去(62才)
死後、藤原不比等に太政大臣の位をおくられる。


●人 物 評

 藤原不比等の最大の功績は、父の藤原鎌足の遺志をつぎ、大和朝廷の中央集権化に力をつくしたことであろう。そのために、刑罰や政治のあり方を決めた律令(りつりょう)を編集した。藤原不比等なくして、天皇中心の政治はありえなかったであろう。また、この藤原不比等がのちの平安時代の藤原氏の栄華の基礎となったといえるであろう。天皇中心の政治に力をつくした藤原不比等だが、皮肉にも、その子孫たちは天皇をかざり物として利用し、貴族が政治を行う摂関政治(せっかんせいじ)を行った。


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