令和8年03月17日(火)
10245歩・4362ポイント → たましん年金手続き(總慧同伴) → 屋上農園南側ネット張り完了 → 運動靴のカカト補修 → NUROよりテレありすべて解決 → 夕刻、焼酎購入
昨日は朝方、予報通り雨が降っておりました。
間もなく上がりましたが、布団およびペットボトルは止めました。
午前11時約束のたましんへ伺いました。
總慧も同伴しました。
手続きは完了しました。
午後2時半、NUROより予約の電話あり、ウイルスソフトでコレスピキーとの関連は全くないことが分かりました。
電話後、屋上農園南側のネットの設置を終えました。
運動靴のカカトの補修をしました。
夕刻は買い物(オーケー焼酎)を兼ねてウォーキング60分間でした。
一日を終えて健康であることに感謝です。
トランプ氏、約7カ国に派遣要求 日本など念頭 ホルムズ海峡めぐり
朝日新聞の記事です。
トランプ米大統領は15日、事実上の封鎖が続くホルムズ海峡の安全確保のため、「約7カ国」に艦船派遣を「要求している」と記者団に語った。
具体的な国名は明らかにしていないが、14日にはSNSで「中国、フランス、日本、韓国、英国」を名指しして「できればこの地域に艦船を送ってほしい」と述べていた。(以下、省略)

本日の新聞の1面のトップ記事です。
日本も要求されております。
このことには簡単に参政できません、高市氏はどのように対応するでしょうか。
 辺野古沖で船2隻転覆、高校2年生と船長が死亡 平和学習で沖縄訪問
朝日新聞の記事です。
16日午前10時12分ごろ、沖縄県名護市辺野古沖で、見学者を乗せた平和丸(5トン未満)と不屈(1.9トン)の2隻が転覆した。
第11管区海上保安本部によると、乗っていた計21人が海に投げ出され、全員が海保などに救助されたが、2人の死亡が確認された。ほかに2人がけがをしたという。(以下、省略)

原因は何でしょうか。
急に高い波を受けて転覆した可能性があるとみて、業務上過失往来危険、業務上過失致死傷などの容疑を視野に調べる。
 
転覆して船底があらわになった2隻の船と、調査にあたる海上保安庁のボート
=2026年3月16日午後1時38分、沖縄県名護市、金子和史撮影
 はやぶさ2が持ち帰った小惑星の砂から全5種の塩基AGCTUを発見
朝日新聞の記事です。
海洋研究開発機構(JAMSTEC)などの研究チームは、日本の探査機はやぶさ2が小惑星リュウグウから持ち帰った砂の中に、生物の遺伝情報を伝えるDNAやRNAのもととなる「核酸塩基」の5種類(頭文字から「AGCTU」)すべてが見つかったと発表した。
生命の源が、隕石(いんせき)などによって宇宙からもたらされたとの学説をより強める研究成果という。
成果は17日、科学誌に掲載される。(以下、省略)

小惑星に生物の遺伝子情報ほ全てが含まれていたという。
どのような生物が存在していたのでしょうか。
 
小惑星リュウグウの砂からはDNAやRNAを構成する、アデニン、グアニン、シトシン、チミン、
ウラシルの核酸塩基5種類すべてが発見された=JAMSTECなどの発表資料から
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


漫画週刊誌の日(3月17日 記念日)
 1959年(昭和34年)のこの日、日本初の少年向け週刊誌『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』が発刊された。
 『週刊少年マガジン』について
講談社が発行する漫画雑誌で、現在は毎週水曜日に発売されているが、創刊当初は木曜日発売で定価は40円であ
った。
    
    『週刊少年マガジン』創刊号
  『週刊少年マガジン』創刊号
  (表紙の写真は横綱・朝汐太郎)
 その当時のキャッチコピーは「ゆめと希望の少年マガジン」で、主力作品は連続小説が大半を占めていた。最初はヒット作には恵まれず、ライバルである『週刊少年サンデー』に水を空けられている状況が続いた。
 しかし、1965年(昭和40年)のちばてつや「ハリスの旋風」を皮切りにマガジンの快進撃が始まり、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとした。その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」なども連載を始め、1967年(昭和42年)1月にはついに100万部を突破した。
 『週刊少年サンデー』について
小学館が発行する漫画雑誌で、現在は毎週水曜日に発売されているが、創刊当初は火曜日発売で定価はマガジンよりも安い30円であった。   
    
   『週刊少年サンデー』創刊号
 (表紙の写真は読売巨人軍・長嶋茂雄)
 「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長・豊田亀市が名付けた。創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり、読み物や付録などが充実していた。
 創刊号のラインアップは手塚治虫「スリル博士」、横山隆一「宇宙少年トンダー」、寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」、藤子不二雄「海の王子」、益子かつみ「南蛮小天狗」であった。
 創刊号の売上げはサンデーが30万部、マガジンが20.5万部でサンデー側に軍配が上がり、マガジンも5号から30円に値下げした。これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。
 1960年代半ばには手塚治虫「W3」がマガジンからサンデーに移籍する「W3事件」が起き、1960年代末には「天才バカボン」がマガジンからサンデーに移籍するなど、その後もライバル間の争いは続いた。

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