令和8年03月03日(火)
12269歩・3345ポイント → 總慧は治験(信濃町)・文慧さんの墓参 → ハーモニカ練習 → 新聞通読 → 買物ラーメン4パック
昨日は朝から曇り、一日中曇りの寒い一日でした。
そのため布団を干すことができませんでした。
總慧は治験のため早々に出かけました。
その足で文慧さんの墓参りをしました。
相当にくたびれたことと思います。
私は留守番でハーモニカの練習、新聞などの通読でした。
夕刻は天気が怪しいので午後2時半に家を出かけました。
買い物を兼ねてウォーキング60分間でした。
マルエツでラーメン4パック、オーケーで卵・パンの購入をしました。
お陰で歩数が大幅に上昇しました。
歩ける健康に感謝です。
晩酌は定量に飲み、現在パソコンに向かっております。
情けないと思いながら、禁酒はできません。
本日は朝から雨が降っております。
イラン攻撃「4〜5週より長く続けられる」トランプ氏が長期化も示唆
朝日新聞の記事です。
トランプ米大統領は2日、米ホワイトハウスで「(イランの攻撃に)4〜5週間を見込んでいたが、それよりはるかに長く続ける力がある」と述べ、さらなる長期化の可能性を示唆した。
これに先立つ記者会見でヘグセス国防長官は「『終わりのない戦争』にはしない」と語り、トランプ氏の支持層にも根強い軍事介入の泥沼化の懸念を強く打ち消そうとしていた。(以下、省略)

本日の新聞の1面のトップ記事です。
イランが抵抗する限り戦争は続くものと思われます。
大事に至らなければよいがと心配です。
 ハメネイ師の居場所、どう特定? 専門家「完全に逃れることは困難」
朝日新聞の記事です。
イランへの攻撃に踏み切った米国とイスラエルは、最高指導者ハメネイ師や政府高官を次々と殺害している。
彼らの居場所はどのようにして特定され、作戦は実行されたのか。
作戦の一端がイスラエル軍やメディアの報道などから、少しずつ明らかになっている。(以下、省略)

相当に長い間より調査を続けていたようです。
そして2月28日を決めていたようです。
 
イランのテヘランで2026年2月28日、米国とイスラエルの攻撃の後、
イランの最高指導者ハメネイ師の邸宅から黒煙が上がる。
エアバスDS提供=ロイター
 大江健三郎の未発表小説発見 学生時代の大家が保管、現存最古の作品
朝日新聞の記事です。
ノーベル文学賞作家、大江健三郎(1935〜2023)が文芸誌デビュー前に書いた2編の未発表小説が発見された。
2日、大江の自筆原稿を管理している東京大学文学部が発表した。
後の作品に表れるモチーフが多く扱われており、大江文学の成り立ちを知るうえで貴重な資料だ。
6日発売の文芸誌「群像」26年4月号に掲載される。(以下、省略)

モチーフが多くあるという。
原稿を作成するためのメモのようなものでしょうか。
 
見つかった「暗い部屋からの旅行」の自筆原稿1枚目 
東京大学文学部大江健三郎文庫c大江健三郎著作権継承者
=2026年3月2日午後、東京・本郷、相場郁朗撮影
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)



雛祭り・上巳・桃の節句(3月3日 年中行事)
 「雛祭り(ひなまつり)」は、女の子の健やかな成長を願う伝統行事。3月3日は「上巳(じょうし)」または「桃の節句」と呼ばれる。
 一般的には「桃の節句」と呼ばれ、女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、桃の花・菱餅・雛あられを供えて祀り、白酒や寿司などの飲食を楽しむ節句祭りが行われる。
    
              雛飾り
 雛祭りは江戸時代までは和暦(旧暦)の3月の節句(上巳、桃の節句)である3月3日(現在の4月頃)に行われていた。明治の改暦以後はグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なうことが一般的になった。東北・北陸など一部の地域では、旧暦3月3日または新暦4月3日に祝う文化が残っている。
 3月3日の「上巳(じょうし)」は「じょうみ」とも読み、1月7日の「人日(じんじつ)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(しちせき)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」とともに「五節句」の一つである。上旬の巳(み)の日の意味であり、元々は3月上旬の巳の日であったが、古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われている。旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であるため「桃の節句」と呼ばれる。
 上巳(桃の節句)の日には、紙製の小さな人形に穢れ(けがれ)を移して川や海に流して、災厄を祓う(はらう)祭礼を行っていた。この「流し雛」の風習は平安時代からあり、現在でも日本各地にその風習が残っている。その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展していった。
 雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には女の子の「人形遊び」と「節句の儀式」が結び付けられ、庶民の行事となった。
 元々は、5月5日の「端午の節句」とともに男女の区別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲(しょうぶ)の節句とも言われることから、尚武(しょうぶ:武道・武勇を重んじること)にかけて男の子の節句とされるようになった。

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