令和7年10月26日(日)
昨日は寒い一日でした → 門の外へは一歩も出ませんでした
昨日はどんよりと曇った朝を迎えましたが、間もなく雨が降り出しました。
その雨は一日中続きました。
そのため一日中門の外へは出ませんでした。
そのためパソコンの一日でした
電験問題の作成で、機械の問8まで進みました。
雨のために気温が下がり寒い一日でした
寒くなると夏が恋しくなります。
しかし健康であることに感謝です。
前進しながら、無理をせず暮らしたいと思います。
本日は朝から雨が降っております。
高市首相が初外遊 対アジアに対米国、外交手腕が試される1週間に
朝日新聞の記事です。
高市早苗首相は25日、東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議に出席するため、就任後初の外遊先のマレーシアに到着した。
週明けにはトランプ米大統領の訪日や韓国でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議も控える。
就任から1週間に満たない準備期間を経て、早速外交手腕が試される。(以下、省略)

本日の新聞の1面のトップ記事です。
高石氏の体力、精神力には脱帽です。
無理をせずに健康に注意をして頑張ってほしいものです。

政府専用機でクアラルンプール国際空港に到着し、出迎えを受ける高市早苗首相(左端
)=2025年10月25日午後7時30分、岩下毅撮影
クマスプレー、出没続く盛岡で売り切れも 北海道、東北で売れる
朝日新聞の記事です。
各地で連日のようにクマの被害が出ている中、護身用の「クマスプレー」が売れている。
市街地への出没が続く盛岡市のアウトドア用品店では売り切れ、欠品が続く店もある。(以下、省略)

米国の基準に準拠したクマスプレーを発売したバイオ科学(徳島県阿南市)では数万本を出荷。現在は生産が追いつかず、卸業者から注文を受けても納品は1〜2カ月待ちという。

アウトドア用品店の棚で、クマ対策のスプレーはほぼ売り切れ、ひとつだけ残っていた
=2025年10月24日、盛岡市、長野剛撮影
「沈黙の艦隊のようには…」高市政権がうたう防衛強化、自衛隊は困惑
朝日新聞の記事です。
高市早苗政権が発足早々、防衛力の強化方針を鮮明にしている。
防衛費の増額目標を前倒しするほか、米国からはさらなる増額圧力がかかる。
こうした状況に、防衛省・自衛隊の現場では「お金ばかりあっても」と戸惑いも広がる。
 高市首相は24日の所信表明演説で、27年度までに防衛費の割合を国内総生産(GDP)2%相当に増やす計画を今年度内に前倒しすると表明。
さらなる防衛費増も視野に入れる安保3文書の改定も来年中に実施するとした。(以下、省略)

高石氏の防衛強化策は急ピッチで進められております。
行き過ぎがなければよいがと心配です。

グアムに寄港した米海軍のオハイオ級弾道ミサイル原子力潜水艦「ネバダ」=米海軍のホームページから
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


原子力の日(10月26日 記念日)

日本政府が1964年(昭和39年)7月31日の閣議決定により制定。
 1956年(昭和31年)のこの日、日本が国連の専門機関の一つである国際原子力機関(International Atomic Energy Agency:IAEA)に加盟した。また、1963年(昭和38年)のこの日、茨城県東海村の日本原子力研究所の動力試験炉(Japan Power Demonstration Reactor:JPDR)で、日本初の原子力発電が行われた。
 原子力発電への関心と理解を深めること、また、原子力が全世界の平和や健康、繁栄を促進、増大するよう努力するとともに軍事目的に転用されるのを防ぐことが目的。この日には、原子力に関係する機関や企業などで記念行事が行われる。
 動力試験炉(JPDR)は、原子炉を利用した各種技術者の訓練に役立った。その後、1976年(昭和51年)3月18日に運転を終了し、1986年(昭和61年)から1996年(平成8年)3月31日にかけて解体工事が行われ、設置場所は更地になった。これは日本で初めての原子炉解体工事である。
   
          写真左:JPDR、右:JPDRの解体作業
 JPDRの実績を元に日本でも商用の原子力発電の導入が決定し、実績が豊富な英国の技術が採用され、富士電機を受け入れ主体として東海村に原子炉の建設が始められた。その後、完成した原子炉による日本で最初の商用原子炉による発電は1966年(昭和41年)7月25日に日本原子力発電株式会社・東海発電所によって行われた。
 しかしながら、これに続く発電炉は米国の軽水炉が導入されることになり、英国製原子炉の導入はこれ一基のみとなった。この原子炉は1998年(平成10年)3月31日に運転を終了し、現在は解体工事中である。

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