令和7年03月10日(月)
昨日、ズボンプレッサーの修理を考え準備をしました
コピーのトナーが切れましたのでケーズデンキで購入

昨日はどんよりと曇った寒い朝を迎えました。
雨が降るかも知れないと思っておりましたが、午前8時過ぎころより太陽が出てきました。
まさか晴れるとは思いませんでいしたので、ズボンプレッサーの修理を考えました。
頭の設計では何とかなると考え進めました。
夢中になりそのことに集中しました。
鉄くずを削り穴あけをして塗装をして乾燥まで準備しました。
その作業のため布団を干すことをすっかり忘れてしまいました。
気が付いたときは11時でした、早々に布団を干しました。
老人会の資料のコピーをしましたところ、途中でトナーが終わりましたので急遽ケーズデンキで購入しました。
なんとかセットしてプリントは終えることができました。
その後、プレッサーの修理に取り掛かりましたが、頭の設計図通りにいかず途中で中止しました。
本日、続きをやります。
本日は新聞休刊日
朝日新聞のディジタル記事です。
一夜で死者10万人、東京大空襲から80年 実相不明、救済も進まず
太平洋戦争末期、米軍の空襲で10万人が犠牲になった東京大空襲から10日で80年。
大きな被害を受けた東京・下町の各地で追悼行事が行われる。
この空襲を機に全国各地の都市に焼夷(しょうい)弾が落とされ、終戦までに各地が焼け野原となったが、被害の全容は今も分かっていない。
空襲被害者らへの救済も進まないままだ。(以下、省略)

あれから80年が過ぎました。
今は平和な日が続いておおります。
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)



東京都平和の日(3月10日 記念日)

 東京都が1990年(平成2年)7月に「東京都平和の日条例」で制定。
 1945年(昭和20年)3月10日深夜0時8分、東京でアメリカ軍B29爆撃機344機による焼夷弾を用いた大空襲が行われた。東京は一夜にして至る所が焼け野原と化し、多くの尊い命が失われた。死者約10万人・焼失家屋約27万戸という、第二次大戦で最大級の被害であった。
 記念日は平和国家日本の首都として、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓い制定された。東京都では、東京空襲で犠牲となられた方々を追悼すると共に、平和意義を確認し、平和の意識の高揚を図るため、この日に「東京都平和の日記念式典」及び「東京空襲資料展」を実施している。
 東京空襲の史実を風化させることなく、今日の平和と繁栄が尊い犠牲の上に築き上げられていることを次代に語り継ぎ、平和が永く続くことを祈念するため、2001年(平成13年)に東京都は「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」を東京都墨田区の都立横網町公園の中に設置した。
    
     東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑
 祈念碑内部には、東京空襲で犠牲となられた方々の名簿を納め、祈念碑上部は、生命の象徴である花々を植えた花壇となっている。
 上部の花壇は、都内の小・中・高校生が描いたデザイン画を基に制作している。デザイン画の募集は毎年行い、応募のあった作品の中から優秀作品4点を翌年度の春・夏・秋・冬の花壇デザインに採用している。

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