令和6年12月30日(月)
昨日、聡慧と一緒に年末の買い出しに出かけました → 庭の通路のコンクリート打ちをしました(1回目)
昨日も朝から太陽が出て、ほぼ一日中晴れの良い天気でした。
朝方、聡慧と一緒に年末の買い出しのためサミットへ出かけました。
店内はがらがらでした。
帰宅後、午後のコンクリート打ちの作業の準備をしました。
昼食後、少し昼寝をして庭の通路のコンクリート打ちに取り掛かりました。
新しく初めてしたことは、鉄筋張りです。
思っていたようにいかず、手間取り最後までいい加減にやりました。
次回からは、研究して取組みたいと思っております。
鉄筋を張った状態の品はあるのですが、高いので安くしようと考え鉄線を購入したのです。
このような作業は好きなので次回は工夫をしたいと思っております。
そしてコンクリート打ちに取り掛かりましたが、鉄線が浮き上がるなど予想外のトラブルがありました。
乾燥するまでには3日間かかるようです。
本日は、砂、砂利の購入のためケーヨーデーツーへ3往復するつまりです。
これで本日のウォーキングに変えます。
これで年末年始の肉体運動は十分です。
私の好きなことです、全く苦には感じません。
頭は悪いが、体だけには自信があります。
本日は寝坊して目覚まし時計で目が覚めました、少しくたびれているものと考えます。
179人死亡、2人救助 韓国で旅客機が着陸失敗 車輪出ず壁に激突
朝日新聞の記事です。
韓国南西部・全羅南道の務安(ムアン)国際空港で29日午前9時3分(日本時間同)ごろ、乗客・乗員181人が乗ったバンコク発の済州(チェジュ)航空の旅客機(ボーイング737―800型)が着陸に失敗して炎上した。
消防当局によると乗員2人が救助されたが、179人が死亡した。(以下、省略)

車輪が出ないので胴体着陸をしたそうです。
その原因をこれから調べます。

韓国・全羅南道の務安国際空港で2024年12月29日、着陸に失敗した旅客機。聯合ニュース提供=ロイター
秋田新幹線「こまち」が停電で停車 約500人が車内に 暖房も停止
朝日新聞の記事です。
JR東日本によると、秋田新幹線の「こまち43号」と「こまち45号」(いずれも秋田行き)が、29日午後10時半すぎから停電の影響でそれぞれ秋田県大仙市と仙北市で停車。
30日午前0時半現在、約500人が車内で待機しているという。(以下、省略)

停電のため暖房を切れている模様です。
停電の原因は不明です、30日午前0時半現在、復旧の見通しは立っていないと記事にあります。

E5系と同じ最高時速320キロの「スーパーこまち」としてデビュー。
騒音対策のロングノーズの先頭部が特徴だ
「1年前と変わらない」嘆く店主 能登半島地震1年、経済の現在地は
朝日新聞の記事です。
2024年1月1日に発生した能登半島地震。あれから約1年が経ち、人々の暮らしを支える経済活動の復興も進みつつある。
だが、人口流出や人手不足などがあり、事業の再開がままならない企業も少なくない。(以下、省略)

間もなく1年間が過ぎますが、復旧の見込みの立たないところが多くあるようです。
人出不足ではどうしょうもありません。

「多田屋」の社長、多田健太郎さん。
用度室は壁が崩れた
=2024年12月4日、石川県七尾市、金居達朗撮影
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


地下鉄記念日(12月30日 記念日)
 
1927年(昭和2年)のこの日、上野〜浅草間(2.2km)に日本初の地下鉄(現:東京メトロ銀座線)が開業した。「地下鉄開業の日」ともされる。
 1925年(大正14年)9月の工事開始から2年3ヵ月で完成した。所要時間は4分50秒、運賃は10銭だった。開業日には、物珍しさもあって、1日で10万人に近い人が乗車したという。
 この日本初の地下鉄はロンドンの地下鉄に感心した早川徳次(はやかわ のりつぐ、1881〜1942年)が、東京にもと尽力し、ようやく実現させたものだった。ウィングが回転して通過できる自動改札機、間接照明と新しい事ずくめであった。日本に地下鉄を紹介・導入した早川は日本において「地下鉄の父」と呼ばれる。
     
          開業当時の1000形
 現在の銀座線は、東京都台東区の浅草駅から渋谷区の渋谷駅間を結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線。鉄道要覧における名称は「3号線銀座線」である。路線名は繁華街の「銀座」に由来する。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「オレンジ」、路線記号は「G」となっている。
    

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