令和6年08月06日(火)
昨日、ウォーキングで星野君及び鈴木さんに会いました
昨日も朝から太陽が出て、暑い一日でした。
数独に挑戦しましたが、解けず眠くなりごろ寝をしました。
気分転換してマジックのハンカチの
ユーチューブを見ましたが納得いかず眠くなりごろ寝をしました。
昨日はそのような一日でした。
夕刻はウォーキングを兼ねて買い物(オーケー:納豆、豆腐、牛乳、パン)60分間しました。
途中で星野君に会いました。
また鈴木さんに会いました、{頑張ってますね」と問いかけたところ「当たり前です」と返事がありました。
私と似て根性のある頑張り屋だと思いました。
昨日は、だらしのない一日でしたが、健康であることに感謝です。
本日は薄曇りの朝を迎えました。
東証終値4451円安の3万1458円 下げ幅ブラックマンデー超え
朝日新聞の記事です。
5日の東京株式市場で日経平均株価は続落し、前週末の終値より4451円28銭(12.40%)安い3万1458円42銭で終えた。
下げ幅は、1987年10月の株価暴落「ブラックマンデー」が起きた際の3836円48銭を超え、過去最大となった。
米国経済が減速するとの懸念が広がったことに加え、外国為替市場で一時1ドル=141円台まで円高ドル安が加速。リスクを避けようと、市場全体にパニック的な売りが広がった。(以下、省略)

本日の新聞の1面のトップ記事です。
株価の大幅な下落にびっくりしました。
本日はどうなるのでしょうか、素人は手が出せません。
 
広島原爆投下から79年 鎮魂のかがり火ともされる
朝日新聞の記事です。
広島は6日、米国による原爆投下から79年を迎えました。
ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ情勢など核が使われる懸念が世界に影を落としているなか、平和を願い、鎮魂の祈りを捧げる人びとの動きを速報します。(以下、省略)

広島へ原爆が投下されて79年です。
世界の平和を願うばかりです。
 
「スーパーに米がない」購入制限や値上げ 背景に酷暑とインバウンド
朝日新聞の記事です。
米が品薄になっている。
値段も上がり、購入を制限するスーパーも。なぜ、「米不足」が起きているのか。
 5日午前、埼玉県越谷市のスーパーマルサン越谷花田店。
「この値段じゃ買えない」。
70代の主婦はそうつぶやき、米売り場を離れた。(以下、省略)

米の値段が急騰しております。
高くとも買わないわけにはいきません、なんとかならないものでしょうか。
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


広島平和記念日(広島原爆忌)(8月6日 記念日)
 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍のB29爆撃機エノラ・ゲイが、広島市上空約9600メートルで世界初の原子爆弾リトルボーイを投下し、上空約600メートルで爆発した。
 広島市街は壊滅し、放射線による急性障害が一応おさまった1945年12月末までに約14万人が死亡したと推計されている。当時の広島市の人口は約35万であった。
 この歴史的悲劇から人類は目をそむけることなく、犠牲となった多くの人々の霊を慰め、世界平和を祈る日として広島市では「平和記念日」とし、この日に原爆慰霊碑の前で「平和祈念式典」が行われる。
    
          平和祈念式典
 平和祈念式典において、原爆が投下された午前8時15分に平和の鐘やサイレンを鳴らし、原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷が行われる。その後、広島市長による平和宣言、子どもによる平和への誓いが行われるのが通例である。
 一般的にこの日は「広島原爆の日」と呼ばれることが多い。また、広島市では、この日8月6日を「ヒロシマ・デー」、8月9日を「ナガサキ・デー」として記念日とするよう、平和市長会議に加盟する国や都市に呼びかけている。
 広島市に対しての原子爆弾の実戦使用は、人類史上初の都市に対する核攻撃である。原爆投下による被爆者の人数は約56万人にも上る。また、わずか3日後の1945年8月9日には、長崎市へも原子爆弾が投下された。これに由来して8月9日は「ながさき平和の日」となっている。
    
          原爆ドーム
 爆心地近くには「原爆ドーム」があり、原子爆弾の悲惨さを今に伝える建造物となっている。原爆ドームは、もともと広島県の様々な物産を展示するための広島県物産陳列館として開館され、戦時中から原爆投下時までは広島県産業奨励館と呼ばれていた。
 原爆ドームは現在では「広島平和記念碑」とも呼ばれる。1996年(平成8年)12月5日にユネスコの世界文化遺産への登録が決定された。平和を訴える記念碑であり、人類が犯した悲惨な出来事を伝える遺産として「負の世界遺産」と呼ばれている。
 この日8月6日の夕方から、平和記念日の特別な行事として「とうろう流し」が行われる。親族や知人を原爆で失った遺族や市民たちが、戦後に原爆の犠牲者を追悼するために手作りのとうろうを川に流したのが始まりとされる。
 場所は原爆ドームの前を流れる元安川(もとやすがわ)で、それぞれとうろうに平和への祈りを込めたメッセージを書き、そのとうろうを川へ流す。川とその周辺はとうろうの幻想的な灯りに包まれる。

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