令和6年03月21日(木)
昨日は、雷雨があるなど一日中天気の急変がありました
昨日も朝から太陽が出て、午前中は晴れの良い天気でした。
そこで布団を干すことが出来ました。
しかし午後からは急に曇りましたので、急きょ布団をしまいました。
ところが、午後2時ころより再び太陽が出てきましたが、夕刻は雷雨を伴い天気は急転しました。
そのため夕刻のウォーキングは中止しましたが、4時半ころより急に太陽が出てきました。
このように昨日は一日の天気が急変しました。
昨日は、ホームページ用のいろいろな材料の準備をしました。
本日も朝から太陽が出ております。
 それは「仕方ない」ことじゃない 教委が始めたヤングケアラー支援
朝日新聞の記事です。
群馬県高崎市内の住宅街。午後7時ごろ、一軒家のリビングにカレーの香りが漂い始めた。
湯気がたつ熱々のカレーを、この春3年生になる男子高校生(17)がほおばる。
 この日、高校生宅でカレーをつくったのは、市教育委員会から「ヤングケアラー支援」で派遣されてきたサポーターの女性だ。
 週2日、2人のサポーターがやってくるようになって、まもなく1年半になる。
 2022年4月。
市内の私立高校に入学したばかりのころだった。(以下、省略)

本日の新聞の1面のトップ記事です。
甘えてはいけない、しかし仕方のない人々もいる。
健康であることに感謝をしながら精いっぱい生きていきたいものである。
 
「サポーター」が作る夕食を待つ高校生
=2024年3月4日午後6時56分、群馬県高崎市、上田幸一撮影
北陸新幹線 課題の存在も忘れずに
朝日新聞の記事です。
北陸新幹線の金沢―敦賀間が開業した。
能登半島地震の被災地支援を掲げた旅行促進策「北陸応援割」も始まり、地域活性化に期待がかかる。
一方で、新幹線延伸に伴うさまざまな課題の存在も忘れてはならない。
 能登地方の被災者のうち、今も3800人が金沢以南の新幹線沿線などにある旅館やホテルに2次避難している。当初、宿泊施設の多くが、新幹線延伸をにらんで受け入れ期限を2〜3月にしていたため、避難者が転居をしいられる事態が心配された。(以下、省略)

北陸新幹線が開通しました。
お祝いムード一杯ですが、周囲のことを忘れてはいけません。

北陸新幹線の延伸で、多くの人でにぎわう敦賀駅前
=2024年3月16日午前11時52分、福井県敦賀市、佐藤常敬撮影
下関沖でタンカー転覆、乗員11人のうち8人死亡 海保が捜索継続
朝日新聞の記事です。
20日午前7時5分ごろ、山口県下関市の六連島(むつれじま)から北北西8キロ沖で停泊していた韓国船籍のケミカルタンカー「KEOYOUNG SUN(キョヨン・サン)」(870トン)から「船が傾いている」として救助を要請する118番通報があった。
門司海上保安部の巡視船4隻と航空機2機を出動させた。
同海保によると船は転覆している。
乗員はインドネシア人など外国人11人で、9人をヘリで救助したが、うち8人の死亡が確認された。(以下、省略)

停泊していたタンカーが転覆するなど考えられません。
自然の力には勝てません。

タンカーが転覆した現場付近では、山口県防災ヘリコプターによる救助活動が行われた
=2024年3月20日午後0時17分、山口県下関市の六連島沖、朝日新聞社ヘリから、山本壮一郎撮影
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


国際人種差別撤廃デー(3月21日 記念日)

 1966年(昭和41年)の国連総会で制定。国際デーの一つ。英語表記は「International Day for the Elimination of Racial Discrimination」。
 1960年(昭和35年)のこの日、南アフリカのシャープビルで、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に対し警官隊が発砲し、69人が死亡する「シャープビル虐殺事件」が発生した。この事件が、国連が人種差別に取り組む契機となったことから、人種差別撤廃のための記念日とされた。この日には、世界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される。
 1971年(昭和46年)は国連が定めた国際年の一つ「人種差別と闘う国際年」(International Year for Action to Combat Racism and Racial Prejudice)だった。また、この日を始めとする3月21日〜3月27日は国際週間の一つ「人種差別と闘う人々との連帯週間」(Week of Solidarity with the Peoples Struggling against Racism and Racial Discrimination)となっている。

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