令和6年03月14日(木)
昨日は、帯状疱疹後神経痛の痛みおよび花粉症の影響で一日中ダルク時々眠りをして効率の悪い日でした
昨日は朝から太陽が出て、ほぼ一日中良い天気に恵まれました。
気温も適度に上がり気持のいい一日でしたが、外気は冷たく感じました。
帯状疱疹後神経痛の痛みおよび花粉症の影響で一日中ダルク時々眠りをして効率の悪い日でした。
健康第一、無理をすることは禁物と思い眠くなったら居眠りしました。
そのような中でも「天声人語」の書き写しは続けております。
夕刻は買い物を兼ねて、公園のウォーキングを60分間しうっすらと汗をかました。
昼間はゴロゴロしましたが、健康であることに感謝です。
晩酌は続け、、余分な金を使っておりますが勘弁してもらいたいものです。
本日も朝から太陽が出ております。
労使が共闘・共創、異例の春闘 歴史的な賃上げはこれからも続くのか
朝日新聞の記事です。
今年の春闘では、労働組合による高水準の賃上げ要求に対して、大手企業からは過去最高となる満額回答が相次いだ。
日本では長く賃上げの動きが鈍かったが、今年は異例の労使共闘で大幅引き上げにつながった。
日本経済が好循環する転換点となるのか注目は大きい。(以下、省略)

我々一般庶民にとっては、景気が良いとは思われませんが?
組合の要求以上の回答をしている企業もあります。

労使交渉の回答状況をボードに書き込む金属労協の職員。
高水準の回答が相次いだ
=2024年3月13日午後0時36分、東京都中央区、内田光撮影
カイロス自ら異常を判断、自律的に爆発 打ち上げ5秒、いったい何が
朝日新聞の記事です。
宇宙ベンチャー「スペースワン」(東京)の小型ロケット「カイロス」初号機が13日午前、和歌山県串本町での打ち上げ直後に爆発した。
民間ロケットとして国内初となる人工衛星の軌道投入に挑んだが失敗した。(以下、省略)

コンピュータが異常を見つけ自爆したようです。
失敗は成功のもと、原因を確認して次回に臨んでほしいと思います。

打ち上げ後に爆発した小型ロケット「カイロス」初号機。
機体は火花を散らしながら周辺の山林へ落下していった
=2024年3月13日午前11時1分、和歌山県串本町、朝日放送テレビヘリから、遠藤真梨撮影
西山ファームに投資、今も残る負債 「逃げ得許せない」出資者の憤り
朝日新聞の記事です。
海外への果物の転売をうたった観光農園「西山ファーム」を巡る投資詐欺事件。
約4年の海外逃亡を続けていた実質的経営者の山崎裕輔容疑者(43)が13日に愛知県警に逮捕された。
同社は全国の900人超の出資者から約133億円を集めたが、大半は返金されていない。
今回の逮捕によって事件を巡る資金の流れの解明は進むのか。
「被害回復」を望む出資者からは期待の声も上がる。(以下、省略)

悪い男がいるものです。
だまされる方も欲が絡んでのことでしょうから、逮捕されてすべてが解決しないでしょう。

瑞穂署に入る西山ファーム元副社長、山崎裕輔容疑者
=2024年3月13日午後0時52分、名古屋市瑞穂区、米田怜央撮影
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


ホワイトデー(3月14日 記念日)
 
2月14日の「バレンタインデー」にチョコレートなどを贈られた男性が、返礼のプレゼントをする日。
 バレンタインデーのチョコレートに対して、キャンデーやマシュマロ、ホワイトチョコレートなどをお返しするのが一般的になっている。
    
            ホワイトデー
 ホワイトデー(全飴協説)について
日本でバレンタインデーが定着するに従って、若い世代の間でそれにお返しをしようという風潮が生まれた。これを受けたお菓子業界では昭和40年代に入ってから、個々に独自の日を定めて、マシュマロやクッキー、キャンデーなどを「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。
 この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)関東地区部会がホワイトデーとして催事化した。そして、1978年(昭和53年)に全飴協の総会で「キャンデーを贈る日」として制定され、2年の準備期間を経て1980年(昭和55年)に第1回の「ホワイトデー」が開催された。
 ホワイトデーを3月14日に定めたのは、西暦269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策に背いて結婚しようとした男女を救うためにバレンタイン司教が殉教したが、その1ヵ月後の3月14日に、その2人は改めて永遠の愛を誓い合ったとされていることや、古事記および日本書紀で日本において初めて飴が製造されたとされる日が3月14日前後とされていることに由来する。
 ホワイトデーの起源については諸説あり、上記の「全飴協説」のほかに、「不二家・エイワ説」「石村萬盛堂説」がある。
 不二家・エイワ説について
 洋菓子や菓子類を製造・販売する株式会社不二家は「リターン・バレンタイン」という名称でバレンタインデーのお返し用菓子類の宣伝販売を行うようになり、1973年(昭和48年)にマシュマロを中心とした菓子を製造・販売する株式会社エイワと協力して3月14日にマシュマロを販売するキャンペーンを開始した。
    
        エイワのハートマシュマロ
 石村萬盛堂説について
 株式会社石村萬盛堂は、1905年(明治38年)に創業し、福岡県福岡市博多区に本社を置く製菓業者で、黄身餡をくるんだ白いマシュマロ菓子の「鶴乃子」などの和菓子を販売する老舗菓子屋「石村萬盛堂」のほか、「ボンサンク」のブランドで洋菓子を製造・販売している。
 三代目社長・石村善悟は、1977年(昭和52年)にバレンタインデーのお返しにせめてマシュマロでも渡してほしい旨の文章が少女雑誌に掲載されているのを目にした。石村萬盛堂はこの文章に触発され、バレンタインデーの返礼としてマシュマロを渡す日を創設し、返礼用マシュマロ菓子として「バレンタインデーに君からもらったチョコレートを僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」というコンセプトで、黄身餡の代わりにチョコレートをくるんだマシュマロを売り出すこととした。
 
この「マシュマロデー」は、福岡随一の百貨店であった岩田屋(現:岩田屋三越)のアドバイスで、当時大型のイベントが無かった時期に当たる3月14日に設定され、1978年(昭和53年)3月14日からキャンペーンが開始された。後に、他業界にもこのキャンペーンを拡張するため、1980年代に百貨店側からの申し出により名称を「ホワイトデー」に変更した。

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