令和6年03月13日(水)
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昨日、元職場の役員会があり参加しました 昨日はどんよりと曇った朝を迎えました。 間もなく雨が降り出し寒い一日となりました。 午前中、元職場の役員会があり萩山公民館に参加しました。 久しぶりにバスバスの乗り継ぎで旅をしました。 花粉症および帯状疱疹後神経痛のためコンディションはよくありませんでした。 皆さん元気なので私も奮い立ちました。 このまま会のために尽くそうかとも思いました。 それにしても寒い一日となりました。 本日は朝から太陽が出ております。 |
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倒壊家屋、6市町で公費解体が始まらず 輪島の被災者「待つしか…」 朝日新聞の記事です。 1月の能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県の6市町が、倒壊家屋の公費解体を始められていない。 ノウハウを持った職員や作業員の宿泊場所の不足が背景にある。 復旧・復興の妨げになり、被災者から早期の解体を願う声があがるが、見通しは立たないままだ。(以下、省略) 倒壊した家屋の撤去が始まっていないという。 作業員の宿舎がネックになっているようです。 |
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![]() 地震で倒壊した蔵と自宅を見つめる松本昌夫さん=2024年3月5日、石川県輪島市河井町、佐藤道隆撮影 |
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幕引きしたい自民、下村氏を止められず キーパーソンが政倫審出席へ 朝日新聞の記事です。 自民党安倍派の下村博文元文部科学相の衆院政治倫理審査会への出席が固まった。 裏金事件の実態解明に向けたキーパーソンとみられ、参院政倫審に出席する世耕弘成前党参院幹事長とともに、積み残された疑問の解消につながる証言をできるかどうかが焦点になる。(以下、省略) 下村氏が出ても進展しないのではないでしょうか。 本当に無駄な時間が過ぎていくだけではないかと思います。 |
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![]() 自民党安倍派の裏金事件をめぐり記者会見する下村博文元文科相=2024年1月31日、国会内 |
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人口1万人の町に寄付100億円 ふるさと納税バブル、そして転落 朝日新聞の記事です。 宮崎県にある人口1万人の町が、ふるさと納税で100億円を超える寄付を集めた。 破綻(はたん)しかけていた財政は一気に潤い、目玉政策も打ち出せるように。 しかし、重大なルール違反を犯し、昨年から2年間のふるさと納税の対象から除外されるというペナルティーを受けてしまう。 寄付金バブルは町に何を残したのか。(以下、省略) 私はふるさと納税にはあまり関心がありません。 ルール違反を犯してまで、とはいかがなものでしょうか。 |
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![]() ふるさと納税のルール違反が指摘された宮崎県都農町で飼育されている牛 |
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今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)![]() 新選組の日(3月13日 記念日) 新選組にゆかりのある東京都日野市のNPO(特定非営利活動)法人・日野市観光協会が制定。 1863年(文久3年)のこの日、京都・壬生に詰めていた武芸に秀でた浪士達で構成された新選組の前身「壬生浪士組」に、陸奥国会津藩主で京都守護職の松平容保から「会津藩預かり」とする連絡が入り、新選組が正式に発足した。 もともと壬生浪士組は、清河八郎の提案で、事件が頻発している京都の警護に当たるために幕府が江戸で募集をしたものである。1863年2月に江戸を出発したが、京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出したため、浪士組は空中分解してしまった。 まもなく幕府の帰還命令を受けて清河ら209名は江戸に戻ったが、近藤勇・芹沢鴨・土方歳三・沖田総司・山南敬助・永倉新八・井上源三郎・斎藤一ら24名はそのまま京都に残留した。松平容保の配下に入り、9月に隊名を「新選組」と改称した。その後、約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行った。 記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。日野市は新選組副長の土方歳三や六番隊組長の井上源三郎らの出身地であり、新選組の故郷である。この歴史・文化を郷土の誇りとして、意識おこし・まちおこしにつなげ、市全体の活性化を目指している。 ![]() 新選組のふるさと日野 |