令和6年03月09日(土)
デスクトップのパソコンがついにダウンしました
昨日は朝から雪が降っておりました。
これは一日中この調子が続くのかと思っておりましたところ、午前8時過ぎころより雪は止みました。
そのまま曇りは続きましたが、午後過ぎ頃より太陽が出てきました。
午後より布団を干すことが出てきました。
長い間使ってきましたデスクトップのパソコンがついにダウンしました。
そこで無念に思うのですが、急きょ廃棄することにしました。
その代わりに「デル」ノートパソコンを代用にすることにしました。
そのために昨日の多くの時間をデータの移動のために費やすこととなりました。
残りのパソコンも機会を見て処分をしたいと思っております。
夕刻3時半過ぎ小雨がぱらつきましたが、4時には雨が上がりましたので公園のウォーキングを1時間やりました。
気持のいい汗をかき、健康であることに感謝しました。
本日は薄曇りの朝を迎えました。
アラレと悟空に実は抵抗、そして歴史変えた 鳥山明さんが徹した娯楽
朝日新聞の記事です。
 「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」などの作品で知られる漫画家の鳥山明(とりやま・あきら)さんが1日、急性硬膜下血腫のため死去した。
68歳だった。
 「ドラゴンボール」の悟空は世界中で熱く愛される「MANGA」「ANIME」の偉大なアイコンだ。
悲報は瞬くうちに世界を駆けめぐった。(以下、省略)

鳥山さんの漫画は世界中で読まれたようです。
恥ずかしいのですが私は詳しいことは知りません。
公取委、ビッグモーターに勧告へ 下請法違反、ずさんな情報管理も
朝日新聞の記事です。
中古車販売大手のビッグモーター(BM)が下請け業者に草むしりを強要するなどしていたことは下請法違反(不当な経済上の利益の提供要請の禁止など)にあたるとして、公正取引委員会は近く、同社に再発防止などを求める勧告を出す方針を固めた。
関係者への取材でわかった。(以下、省略)

ビックモーターはやりたい放題、ずさんな管理をしていたようです。
中小企業泣かせのこのようなことは、沢山あるようです。
米軍オスプレイ飛行再開へ 「部品の不具合が原因 構造に問題なし」
朝日新聞の記事です。
米軍は8日、鹿児島県屋久島沖で昨年11月末に起きた輸送機オスプレイの墜落死亡事故を受け、12月から世界各地で続けていた飛行停止措置を解除すると発表した。
防衛省によると、事故原因は特定の部品の不具合だとし、「オスプレイの設計と構造に問題はない」と日米双方が確認。
安全に飛行再開できると判断したという。(以下、省略)

オスプレイはヘリコプターと飛行機の機能を組み合わせたものです。
今後事故がないことを願っております。

墜落したオスプレイの一部とみられるものが米軍のサルベージ船に引き揚げられた
=2023年12月27日、鹿児島県の屋久島沖、朝日新聞社ヘリから、日吉健吾撮影
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)



記念切手記念日(3月9日 記念日)
 
1894年(明治27年)のこの日、日本最初の記念切手が発行された。
 明治天皇・皇后両陛下のご成婚25周年(銀婚)を記念して発行され、菊の紋章に雌雄の鶴2羽が描かれたデザインで、紅色で内地用(内国用封書用)の2銭と青色で外地用(外国用封書用)の5銭の2種類だった。
    
           明治銀婚記念切手(2銭、5銭)
 当時、日本には記念切手の概念がなく、銀婚の祝典を記念する切手を望んだ在留外国人の新聞投書によって政府が動き、時の逓信大臣・黒田清隆の命で急きょ発行されることとなったものである。祝典まで1ヵ月を切るなか、印刷局は不眠不休で作業にあたり、通常1〜2ヵ月はかかる原版を5日で仕上げた。
 その記念切手の大きさは縦29mmx横37mmmで、当時の普通切手の約2倍の大きさがあり、菊花紋の周りには「IMPERIAL WEDDING 25 ANNIVERSARY」と発行趣旨が表記されている。上の画像では確認が難しいが、下の画像ではその文字を確認することができる。
    
     明治銀婚記念切手(2銭)
 記念切手について
「記念切手」とは、郵便局や販売期間、枚数に定めのない「普通切手」とは異なり一定枚数のみ印刷され、場合によっては販売される郵便局や販売期間、郵便に使用できる期間までも制限されるのが特徴である。
 同様な切手としてキャンペーンや文化財の紹介国家的宣伝などの意図をもって発行される「特殊切手」があるほか、ふるさと振興を目的に発行された「ふるさと切手」、年賀郵便に使用される目的の「年賀切手」などもある。
    
      特殊切手「天体シリーズ 第1集」
 当初は記念切手を「紀念切手」と呼称していた。これは「記念」には「かたみ」の意味があり、これを避けたためだといわれている。しかし、大正から昭和にかけて当時の文部省で「記念」の語を使うようになったためこれに倣い、現在と同じ「記念切手」という表記が使われるようになった。
 日本では昭和時代初期まで記念切手は数年に一度しか発行されていなかった。記念切手は2種または4種のセットで発行され天皇即位・立太子の礼など皇室関係の慶事を記念したものや明治神宮や伊勢神宮などの国家神道に関係するものが主であったが、第一次世界大戦終結を祝う平和切手や第15回赤十字国際会議の記念切手なども発行されていた。第二次世界大戦後は毎年のように発行されるようになり、現在では毎年数十種前後の記念切手が発行されている。

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