令和6年01月29日(月)
三田さんのあと地に不動産屋らしき人がお客さんを連れてきました
昨日は薄曇りの朝を迎えました。
その後も太陽はほんの一瞬出ましたが、寒い一日となりました。
電験の問題つくりに専念しました。
ひねりを重ねながら進めております。
思うようには進みませんが、努力を続けております。
三田さんのあと地に不動産屋らしき人がお客さんを連れてきました。
それも3度見ました。
どうやら跡地を分譲して売却するようです。
どのようになるのかわかりませんが、あと地へ2軒立つのではないかと思います。
夕刻は公園のウォーキングを60分間しました。
昨日は久しぶりに公園のトイレまわりでした。
帯状疱疹後神経痛は痛みますが、歩けることに感謝です。
土木会社に「内田洋」で40年 海外渡航確認されず 桐島聡名乗る男
朝日新聞の記事です。
1974、75年に起きた連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)を名乗った男が、「内田洋(うちだひろし)」の偽名を使い、約40年間にわたり神奈川県藤沢市の土木会社で住み込みで働いていたことが捜査関係者への取材でわかった。
事件後に海外に渡航した形跡は確認されておらず、警視庁は身分を偽りながら国内で半世紀、逃亡生活を送っていたとみて調べるい

最後は「「霧島聡」として死にたいと思い自白したという。
それにしても長い逃亡生活は苦しかったことでしょう。

桐島聡容疑者と名乗る男が暮らしていたという2階建て住宅
=2024年1月28日午後2時41分、神奈川県藤沢市、三井新撮影
縄に関心なき政権、強引手法も官邸素通り 林官房長官、知事と会談
朝日新聞の記事です。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、林芳正官房長官は28日、昨年12月の就任後初めて沖縄県を訪れ、同県の玉城デニー知事と会談した。
林氏は、県側も参加する負担軽減をめぐる事務方の作業部会を開催する方向で調整する考えを示す一方、知事の要求する移設工事中止は受け入れず、工事継続の考えを強調した。(以下、省略)

会談をしたことは評価できますが、話は互いに通じません。
形だけでも話し合いは続けてほしいものです。

沖縄県の玉城デニー知事(右)と会談する林芳正官房長官
=2024年1月28日午後2時51分、沖縄県庁、笹川翔平撮影
麻生氏、上川外相の容姿に言及 「そんなに美しい方とは言わない」
朝日新聞の記事です。
自民党の麻生太郎副総裁は28日、福岡県芦屋町で講演し、上川陽子外相を「新しいスター」と持ち上げる一方、「そんなに美しい方とは言わない」と容姿に言及する場面があった。
また、上川氏を「おばさん」とも呼んでおり、発言が物議を醸す可能性がある。(以下、省略)

麻生氏はどうしてこのような発言が出来るのでしょうか。
人をなめているからではないでしょうか。

国政報告会で講演する自民党の麻生太郎副総裁
=2024年1月28日、福岡県芦屋町、中田絢子撮影
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


宇宙からの警告の日(1月28日 記念日)
 
1986年(昭和61年)のこの日、アメリカのスペースシャトル「チャレンジャー号」が打ち上げ後、わずか74秒で大爆発を起こし、乗務員7人全員が死亡する惨事となった。
    
       チャレンジャー号
 事故の原因は右側の固体燃料補助ロケットの接続部分で、密閉用Oリングが発進時に破損したことから機体の分解が始まった。世界中にテレビ中継されている最中の出来事であった。
 その後、小説家・大江健三郎(おおえ けんざぶろう、1935〜2023年)が著書『治療塔』(1990年、岩波書店)の中で、この事件を「宇宙意思からの警告」と表現したことからこの日が生まれた。
  『治療塔』はSF小説で、21世紀前半、度重なる核戦争によって汚染された地球から、「選ばれた者」百万人が、大多数の人々を地球に置き去りにして、スターシップ公社のロケットに乗って、「新しい地球」へと移住する物語である。
 大江健三郎は東京大学文学部仏文科卒。学生作家としてデビューして、大学在学中の1958年(昭和33年)、短編小説「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞した。
 1967年(昭和42年)、代表作とされる『万延元年のフットボール』により歴代最年少で谷崎潤一郎賞を受賞。1994年(平成6年)、日本文学史上において2人目のノーベル文学賞受賞者となった。

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