令和6年01月09日(火)
夕刻のウォーキング革靴を履いての60分間でした、これで6日目です
昨日も朝から太陽が出て、一日中晴れの良い天気でした。
寒さは感じますが、気持のいい一日でした。
電験の「電力」の部を終えました。
本日から「機械」の部へ進みます。
夕刻のウォーキング革靴を履いての60分間でした。
これで6日目ですので、6時間利用したことになります。
少しずつ慣れてきた感じです。
冠婚葬祭は少なくとも早々にはないと思いますが、慣れておかないといけないと思い続けております。
健康に感謝の日が続いております。
昨夜は冷え込みましたので、ジャンパーを着てのパソコン入力をしております。
本日は寒い薄曇りの朝を迎えました。
死者168人、安否不明323人 雪の中「1.5次避難」 能登地震
朝日新聞の記事です。
最大震度7を観測した能登半島地震は8日、発生から1週間を迎えた。
石川県によると、死者は168人で、約2万8千人が避難所に身を寄せている。
被災地では雪が降り続くなかで捜索が続く一方、生活の拠点を移すための動きも始まった。(以下、省略)

本日の新聞の1面のトップ記事です。
安否不明者が323人、日ごとに増えております。
ビニールハウスでの生活、考えただけで申しわけなく思います。

<ハウスに20人> 石川県輪島市では、自宅が倒壊した被災者が、
農業用のビニールハウスで避難を続けている。
雪の影響で雨漏りがするなか、4台のストーブで寒さをしのいでいるが、
夜に気温が下がると暖を取るのが難しいという。
現在は20人ほどが避難する。
ハウスを所有する保(ぼう)靖夫さん(69)は「雪の重さでハウスが倒壊しないか怖い」
=8日、小宮路勝撮影
海保機、JAL機の着陸許可に気づかなかったか 直前に周波数変更?
朝日新聞の記事です。
東京・羽田空港の滑走路で日本航空(JAL)と海上保安庁の航空機同士が衝突、炎上し5人が死亡した事故で、滑走路担当の管制官がJAL機に着陸の許可を出した直後に、海保機が交信を始めた可能性があり、JAL機の着陸に気づかなかったとみられることが、関係者への取材でわかった。
羽田空港では8日、事故のあったC滑走路の運用が再開した。
国土交通省は9日にも再発防止策を発表する予定。(以下、省略)

現在詳しく調査をしているところです。
原因をしっかりと確認して、事故の再発がないような対策をしてもらいたいものです。
旧田中角栄邸で火災 真紀子氏「線香消し忘れ」夫婦とも無事 目白台
朝日新聞の記事です。
8日午後3時20分ごろ、東京都文京区目白台1丁目の公園の利用者から、「田中角栄の家の方向からものすごい煙が出ている」などと110番通報があった。
東京消防庁によると、2階建て住宅から出火し、2階建ての住宅延べ約800平方メートルが全焼し、南側の雑木林などが焼けた。
警視庁によると、出火当時住宅に2人がいたが、けが人はなかった。
現場は故田中角栄・元首相の自宅だった住宅。(以下、省略)

真紀子氏が線香を消し忘れたといいます。
普通の状態では考えられない事故です。

白煙が上がる旧田中角栄邸とみられる建物
=2024年1月8日午後4時27分、東京都文京区目白台1丁目、朝日新聞社ヘリから、細川卓撮影
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


風邪の日(1月9日 記念日)
 1795年(寛政7年)のこの日(旧暦)、横綱・谷風梶之助(たにかぜ かじのすけ)が流感(りゅうかん)で現役のまま亡くなった。
    
       谷風梶之助
 35連勝のまま、44歳で死去した。「流感」とは「流行性感冒(りゅうこうせいかんぼう)」の略で、インフルエンザウイルスを病原とする「インフルエンザ」のことである。当時、流感は江戸全域で猛威を奮っていた。
 谷風梶之助(1750〜1795年)は、陸奥国宮城郡霞目村(現:宮城県仙台市若林区霞目)出身の元大相撲力士。本名は金子与四郎(かねこ よしろう)。
 谷風は、亡くなる10年ほど前に流感が流行している時に、「土俵上でわしを倒すことはできない。倒れるのは風邪にかかった時くらいだ。」と語ったことから、この時に流行した流感は「タニカゼ」と呼ばれた。
 死因となった流感は「御猪狩風(おいかりかぜ)」と呼ばれたが、後に「タニカゼ」と混同されるようになった。これらのことから、インフルエンザのことを「谷風」と呼ぶ場合がある。

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