令和5年12月16日(土)
サンルームの道具の整理をしました
昨日はどんよりと曇った朝を迎えました。
一時ほんの一時期太陽が出ましたが、ほぼ一日中曇りの天気でした。
気温も上がらず比較的に寒い一日でした。
前から気になっていた、サンルームの道具の整理をしました。
いろいろな場所の道具の整理をしたいのですが、これからの課題です。
電験の問題作成を進めました。
夕刻は公園のウォーキングを60分間しました。
寒かったのですが、適度に汗をかき健康に感謝です。
帯状疱疹がチクチク痛みますが、耐えております。
残りの薬で終わりにしたいと考えております。
診療報酬本体0.88%プラス 全体はマイナス 医療従事者賃上げ 政府方針
朝日新聞の記事です。
来年度予算案編成の焦点の一つ「診療報酬」について、政府は15日、医療従事者らの人件費に回る「本体」部分を0・88%引き上げる方針を固めた。
薬価は市場価格を踏まえて1%程度引き下げる。
両方をあわせた全体の改定率は0・1%程度のマイナス改定となる見通し。(以下、省略)

本日の新聞の1面のトップ記事です。
診療報酬が全体としてはマイナスだそうです。
高齢化社会を迎えて誰が苦しむのでしょうか。
キックバックは「文化」、自民地方組織まで浸透か 安倍派幹部は沈黙
朝日新聞の記事です。
自民党安倍派による政治資金パーティーを通じた組織的な裏金作りの疑惑をめぐり、同派の鈴木淳司前総務相(衆院愛知7区)は15日、2018〜22年の5年間に60万円の裏金を派閥から受け取っていたことを記者団に明かした。(以下、省略)

記事によると、「この世界で文化と言えば変だが、その認識があった」と述べた。
「派閥で適切に処理されたもので、派閥から交付された『活動費』との認識だった」として、政治資金収支報告書に記載する「発想がなかった」とも語った。

自身の政治資金問題について記者団に説明する自民党の鈴木淳司前総務相
=2023年12月15日午後2時26分、東京・霞が関の総務省、白見はる菜撮影
大谷翔平の入団会見詳報 ドジャース選んだ理由、そしてあの犬の名は
朝日新聞の記事です。
大リーグのロサンゼルス・ドジャースに入団を決めた大谷翔平(29)が14日(日本時間15日)、本拠のドジャースタジアムで入団会見に臨んだ。
背番号「17」のユニホームに袖を通した後、何が入団の決め手になったのかなどについて、言葉を選びながら語った。(以下、省略)

大谷はどえらい人間です。
活躍が期待されております。
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


電話創業の日(12月16日 記念日)
 1890年(明治23年)のこの日、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始し、千代田区に設置された電話交換局が営業を始めた。
 加入電話は東京155台・横浜44台、電話交換手は女子7人・夜間専門の男子2人が対応した。当時の電話料金は定額料金で東京が40円・横浜35円。この時代、1円で米が15kg買えたため、今の値段にすれば40円は24万円くらいに相当し、当時の電話はとても高価なサービスだったことが分かる。
 これよりも21年前の1869年(明治2年)10月23日、横浜裁判所構内に電信機役所が設置され、東京〜横浜間で公衆電信線の架設工事が始まった。これに由来して10月23日は「電信電話記念日」、10月20日〜26日は「電信電話週間」となっている。
 東京〜横浜間で電信サービスが開始されたのはその翌年の1870年(明治3年)のことである。
 さらに、1876年(明治9年)にアレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell、1847〜1922年)が電話機を発明すると、翌1877年(明治10年)には工部省が電話機を早速輸入して実験を行い、電話機の国産化に着手した。
 そして、上記のように1890年(明治23年)に逓信省により東京〜横浜間の電話交換サービスが開始され、電信・電話は同省の下で運営管理されることになった。
    
      電話交換局(八重洲町、1902年頃)
当時の電話には電話交換手という電話の回線をつなぐ業務を行う人がいた。電話局内にある交換台において、一組の電話プラグを適切なジャックに差し込むことで、電話の回線を接続し、電話で話すことができた。そのため、電話をかける時は、最初に電話局の交換手を呼び出し、相手の電話に接続してもらっていた。

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