令和5年12月14日(木)
キウイの枝の剪定枝を束ねました
總慧が姉の面会へ伺いました
昨日は朝から太陽が出て、一日中晴れの良い天気でした。
気温も上がり快適な一日でした。
陽気につられて剪定枝を束ねました。
以外に手間取り汗をかきました。
總慧が姉の文慧さんの面会へ伺いました。
元気であったようで何よりです。
それにしても染谷家は混乱しているようです。
読書、電験問題「電力」の作成中です。
夕刻はサミットへ米の買い出しを兼ねてウォーキングをしました。
昨日で帯状疱疹の75の薬が終わりました。
官房長官に林芳正氏、斎藤健経産相・松本剛明総務相・坂本哲志農相
朝日新聞の記事です。
自民党の「清和政策研究会」(安倍派)の政治資金パーティーをめぐる問題で、岸田文雄首相は13日、裏金を受け取った疑惑がある安倍派の松野博一官房長官の後任に岸田派の林芳正前外相を起用する意向を固めた。
鈴木淳司総務相の後任に松本剛明前総務相(麻生派)、宮下一郎農林水産相の後任に坂本哲志・元地方創生担当相(森山派)、西村康稔経済産業相の後任に斎藤健前法相(無派閥)をそれぞれ充てる。(以下、省略)

本日の新聞の1面のトップ記事です。
パーティー券を巡る疑惑の関係者の処分がありました。
これで安定すればよいのですが、大丈夫でしょうか。
キックバック「『記載するな』と指示あった」 宮沢防衛副大臣が説明
朝日新聞の記事です。
自民党の「清和政策研究会」(安倍派)の政治資金パーティーをめぐる問題で、同派の宮沢博行防衛副大臣は13日、販売ノルマの超過分に対するキックバック(還流)について「(政治資金収支報告書へ)記載しないでよいと派閥から指示があった」と語った。
同派所属議員で、派閥による組織的な裏金作りへの指示を認める発言は初めて。(以下、省略)

勇気のある発言が出ました。
これから波紋を呼ぶことでしょう。

衆院本会議後、記者の質問に答える自民党の宮沢博行防衛副大臣
=2023年12月13日午後4時58分、岩下毅撮影
ハマス幹部狙うイスラエル軍 トンネル「水攻め」は攻略の初期段階か
朝日新聞の記事です。
パレスチナ自治区ガザ地区にイスラム組織ハマスが築いた地下トンネルに、イスラエル軍が海水を注入する作戦を始めたと、米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)など複数の米メディアが12日に報じた。
同軍は、地下にハマス幹部が潜んでいるとみている。
この日も激しい戦闘が続き、同軍では地上作戦を始めてから最多となる10人の兵士が死亡した。(以下、省略)

トンネルに本当にハマスの幹部がいるのでしょうか。
水攻めとはよく考えたものです。

2023年11月22日、パレスチナ自治区ガザ地区のシファ病院の地下で見つかったトンネルを
メディアに見せるイスラエル兵=AP
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


四十七士討ち入りの日(忠臣蔵の日)(12月14日 記念日)
 1702年(元禄15年)のこの日(旧暦)、赤穂浪士(あこうろうし)47人が江戸・本所松坂町の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。
 この日を偲んで東京都港区高輪の泉岳寺や兵庫県明石市の大石神社・花岳寺などで義士供養の「義士祭」(ぎしさい)が行われる。義士祭の日付は12月14日前後に行われることが多い。
 また、吉良邸の一部は現在、本所松坂町公園となっており、毎年「元禄市」(げんろくいち)でにぎわう。元禄市の日付は12月第2週の土日の二日間となっている。
    
          義士祭(泉岳寺)
 赤穂事件について
1701年(元禄14年)3月14日(旧暦)、江戸城・松之大廊下で、播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩(あさの たくみのかみ ながのり)が、高家(こうけ)の吉良上野介義央(きら こうずけのすけ よしひさ/よしなか)に斬りかかったことに端を発する。
 事件当時、江戸城では、幕府が朝廷の使者を接待している真っ最中であり、場所がらもわきまえずに刃傷に及んだ浅野に対し、江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉(とくがわ つなよし)は激怒した。
 そして、幕府は浅野内匠頭に即日切腹を言いつけ、浅野が藩主を務める播州赤穂浅野家は改易(かいえき:領地・屋敷の没収)、赤穂城も幕府に明け渡すよう命じた。それに対して、吉良には一切の咎めはなかった。
 浅野のみ刑に処せられたことに浅野家家臣達は反発。筆頭家老(ひっとうがろう)である大石内蔵助(おおいし くらのすけ)を中心に対応を協議したが、浅野家再興の道はなく、主君の仇討ちのために吉良邸に討ち入ることを表明した。
 1702年(元禄15年)12月14日(旧暦)、大石以下47人(四十七士)は、吉良邸に侵入し、吉良上野介を討ちとった。四十七士は吉良邸から引き揚げて、吉良の首を浅野内匠頭の墓前に供えた。そして、吉良邸討ち入りを幕府に報告し、幕府の指示に従って全員切腹した。
 この「赤穂事件」を基にして人形浄瑠璃・歌舞伎の演目の一つ『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら、通称:忠臣蔵)など数多くの創作作品が作られ、現在まで語り継がれている。
 なお、浅野が吉良に斬りかかった理由は、史実としては不明である。また、「忠臣蔵」は脚色された創作であるため、史実としての「赤穂事件」とは異なる部分もある。

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