令和5年05月19日(金)
昨日、日本進路指導協会の評議員選定委員会に参加しました 
昨日も朝から太陽が出て、ほぼ一日中晴れの良い天気でした。
午前中はパソコンに集中しました。
午後は日本進路指導協会の評議委員選定委員会へ参加しました。
往復の電車が意外と混んでいたため少々くたびれを感じました。
これでいよいよ下松の法事を迎えることになりました。
本日はどんよりと曇った朝を迎えました。
岸田首相、地元広島でのサミット 問われる手腕、高まる解散への警戒
朝日新聞の記事です。
岸田文雄首相が議長を務める主要7カ国首脳会議(G7サミット)が19日、首相の地元広島で始まる。
ロシアによるウクライナ侵攻への対応、「核兵器のない世界」などについてリーダーシップを発揮できるのか。
首相にとっては「サミット後」の政権運営や衆院解散も見据えた勝負の舞台でもある。(以下、省略)

いよいよ本日広島サミットが始まります。
成果を上げ無事に終了することを願っております。

広島への出発前、サミットへの意気込みを語る岸田文雄首相
=2023年5月18日午前9時58分、首相官邸、相場郁朗撮影
市川猿之助さん、体調回復を待って事情聴く方針 両親の死因は不明
朝日新聞の記事です。
18日午前10時15分ごろ、東京都目黒区目黒3丁目の住宅で、住人で歌舞伎俳優の市川猿之助さん(47)がぐったりし、両親が倒れているのをマネジャー2人が見つけ、119番通報した。
警視庁によると、父親で歌舞伎俳優の市川段四郎さん(76)=本名・喜熨斗弘之(きのしひろゆき)=が搬送先の病院で死亡し、母親(75)はその場で死亡が確認された。
猿之助さんは搬送され、命に別条はない。(以下、省略)

猿之助さんは自殺を図った模様です。
一体何があったのでしょうか。

市川猿之助
理研、「10年ルール」で97人雇い止め チームリーダーの研究者も
朝日新聞の記事です。
日本を代表する研究機関の理化学研究所(本部・埼玉県和光市)で今春、10年を超える有期雇用を認めない「10年ルール」の結果、雇い止めにあった研究者や技術職員が計97人にのぼることがわかった。
理研労働組合が18日、厚生労働省で会見を開いて明らかにした。
全国の大学や研究機関で計数千人が雇い止めになる可能性が指摘されていたが、機関ごとの実数が公表されたのは初めて。(以下、省略)

博士クラスの団体です。
華やかに見える研究者の裏では暗い人生があるようです。

降格して理化学研究所に残った研究者のひとりは「研究の評価、進捗(しんちょく)の検討もなしに
10年で機械的に乱暴に雇用終了を強行した。
雇用にとどまらず日本の科学技術の問題だ」と語った=18日、東京・霞が関
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


小諸・山頭火の日(5月19日 記念日)
 長野県小諸市にある温泉宿・中棚荘(なかだなそう)が制定。中棚荘は、明治の文豪・島崎藤村ゆかりの宿でもある。
 1936年(昭和11年)のこの日、漂泊の俳人・種田山頭火(たねだ さんとうか、1882〜1940年)が中棚荘(当時は中棚鉱泉)に宿泊した。
 その日の日記に「熱い湯に入れて酒が飲めるのがいい」と記載していることから記念日となった。敷地内には山頭火の句碑も建てられている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
 種田山頭火について
1882年(明治15年)、山頭火は、山口県佐波郡西佐波令村(現:防府市)にて大地主・種田家の長男として生まれた。しかし、父親が経営する種田酒造場の破産や身体と精神の不調など、数々の苦難の末、生涯を酒と放浪のうちに過ごした。
 俳句を愛した山頭火は、1940年(昭和15年)に愛媛県松山市で亡くなるまで、全国各地を歩いて旅をしながら数多くの俳句を作った。昭和の芭蕉とも呼ばれ、定型に縛られない自由律俳句の代表とされている。
 山口県防府市内には山頭火の生家跡があり、JR防府駅てんじんぐち(北口)前には山頭火の銅像が建てられている。また、防府市内各所に山頭火の句碑が80基以上建てられていて、句碑めぐりを楽しむことができ
る。
    
      種田山頭火像
 関連する記念日として、山頭火の忌日に由来して10月11日は「一草忌(いっそうき)」となっている。「一草忌」の名称は、山頭火終焉の地である松山市の庵「一草庵(いっそうあん)」の名前にちなむ。

   日記の目次へ   トップページへ