令和5年04月24日(月)
知人の方の息子さんが心筋梗塞で
昨日は薄曇りの中太陽が出てきました。
しかし間もなく太陽は消え曇りとなりました。
午前11時前頃から再び太陽が顔を出しました。
布団を干すことが出来ました。
電験問題のためパソコンの一日でした。
夕刻は公園のウォーキング70分間でした。
時々会う女性の方に久しぶりに会いました。
45歳の息子さんが心筋梗塞でなくなったそうです。
本当気の毒な話です。
人間の運命ははかないものです。
本日は薄曇りの朝を迎えました。
岸田自民、辛くも4勝1敗 「静かな地殻変動が…」党内に危機感
朝日新聞の記事です。
岸田政権に対する中間評価の意味合いを持つ衆参5補欠選挙で、自民党は4補選で勝った。
しかし、和歌山1区では関西を中心に伸長する日本維新の会の勢いを止められなかった。
山口4区以外の選挙区では接戦となり、手放しでは喜べない薄氷の勝利となった。(以下、省略)

本日の紙面は選挙で一色です。
山口4区以外は接戦でした。

街頭演説を終え、聴衆に手を振る自民党の岸田文雄総裁
=2023年4月22日午後4時3分、和歌山市、柴田悠貴撮影
「癒やされることはないが、一歩でも前へ」カズワン拠点の町で追悼式
朝日新聞の記事です。
北海道の知床半島沖で観光船「KAZUT(カズワン)」が沈没して1年となった23日、地元の斜里町で、町役場や観光協会でつくる実行委員会による追悼式が営まれた。
事故では20人が死亡し、6人の行方が分かっていない。
地元では朝から、海に向かって手を合わせる人や献花台に花を手向ける人の姿があり、それぞれに犠牲者を思い、祈った。(以下、省略)

あれから1年が過ぎました。
未だ行方不明の6人の方がおられます。

馬場隆・斜里町長(奥)らが出席して営まれた被害者追悼式
=2023年4月23日午後1時47分、北海道斜里町、角野貴之撮影
立憲・岡田氏「候補一本化できなかった点に尽きる」千葉5区落選確実
朝日新聞の記事です。
立憲民主党の岡田克也幹事長は、衆院千葉5区補選で公認候補の落選が確実になったことを受け、党本部での記者会見で「野党側が(候補者一本化の)調整ができなかった、その一点に尽きる。
非常に残念。
これを一つの教訓にしなければいけない」と語った。(以下、省略)

立憲民主党の今後は暗いのではないでしょうか。
今後を見守りたいと思います。

山口4区補選の応援に入った岡田克也氏(左)
=2023年4月11日午前10時46分、山口県下関市、山崎毅朗撮影
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)



植物学の日・マキノの日(4月24日 記念日)
 1862年(文久2年)のこの日(旧暦の4月24日)、植物学者の牧野富太郎(まきの とみたろう、1862〜1957年)が土佐国佐川村(現:高知県高岡郡佐川町)で生まれた。
 その家は近隣から「佐川の岸屋」と呼ばれた商家で、雑貨業と酒造業を営む裕福な家だった。そして、彼は幼少のころから植物に興味を示していたと伝わる。
  
    牧野富太郎

 牧野博士は「日本の植物学の父」といわれ、独学で植物分類学を研究し、94歳でこの世を去るまでの生涯を植物研究に費やした。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。
 また、新種・変種約2,500種を発見・命名した。佐川小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定された。
 牧野博士が死去した翌年の1958年(昭和33年)4月、博士の業績を記念した建物として、高知市五台山に「高知県立牧野植物園」が開園した。
   
       牧野植物園

 1999年(平成11年)には園内に「牧野富太郎記念館」(内藤廣設計)が新設され、博士が収集した蔵書、直筆の原稿、植物画など58,000点を収蔵した牧野文庫を始め、植物に関する研究室や、博士の生涯に関する展示などがある。
   
       牧野植物園

 2008年(平成20年)4月には南園に東洋の園芸植物を観賞できる「50周年記念庭園」が誕生した。園内には「博士ゆかりの野生植物」など約3,000種の植物が栽培されている。また、同園では4月24日を「マキノの日」としており、この日は入園が無料になるほか、園内の植物観察ツアーなど、特別なツアーが開催される。
   
     マキノの日

 関連する記念日として、5月4日は「植物園の日」、5月7日は「博士の日」となっている。

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