令和5年03月03日(金)
ネギの種の芽がでてきました
昨日はどんよりと曇った朝を迎えました。
間もなく太陽がでてきましたが、日差しは弱くあまりパッとしない一日でした。
しかし気温は適度に上がり快適な一日でした。
過日ネギの種を蒔きましたが、先日より芽でてきました。
唐辛子の芽は今もって出てきません。
電験「法規」の問題に取組んでおりますが苦戦しております。
夕刻はソフトバンクへスマホの映像電話のことで伺いましたが、スッキリとした回答が得れれませんでした。
このことを兼ねてウォーキングとしました。
本日もどんよりと曇った朝を迎えました。
諫早湾干拓、「開門せず」で決着 最高裁が上告棄却 司法判断が統一
朝日新聞の記事です。
長崎県の国営諫早湾干拓事業をめぐり、堤防排水門の開門を命じた確定判決の「無力化」を国が求めた訴訟の上告審で、最高裁第三小法廷(長嶺安政裁判長)は、1日付の決定で、漁業者側の上告を棄却した。
漁業への悪影響は軽減されたとして無力化を認めた二審・福岡高裁判決が確定した。
開門の是非をめぐっては複数の裁判が起こされ、「開門」と「開門せず」の相反する確定判決が併存していたが、司法判断は「開門せず」に統一された。
長年の法廷闘争は事実上、決着した。(以下、省略)

本日の新聞の1面のトップ記事です。
長い間争われた裁判がようやく決着しました。
漁業側は今後も恨みつらみは続くことでしょう。

諫早湾を締め切った潮受け堤防。
中央の調整池の奥に干拓地が見える。
堤防の左側が有明海
=2022年3月16日、長崎県、朝日新聞社ヘリから、堀英治撮影
教員切りつけ容疑の少年、複数の刃物所持 無施錠の正門から侵入
朝日新聞の記事です。
埼玉県戸田市の市立美笹中学校で1日、男性教員が切りつけられた事件で、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された高校生の少年(17)=さいたま市浦和区=が校内に複数の刃物を持ち込んでいたことが捜査関係者への取材でわかった。
所持していたバッグの中に入れていた。
少年は「誰でもいいので人を殺したいと思った。
確実に学校が開いている時間をねらった」などと供述しており、県警は多くの人を無差別に傷つけようとしたとみて調べている。(以下、省略)

このような人間がいると思うといつ何が起こるかわかりません。
それにしても犯人に向かった教員の勇気には敬服します。

事件があった中学校の正門。
逮捕された少年は無施錠だったこの門から校内に侵入したという
=2023年3月1日午後2時1分、埼玉県戸田市美女木5丁目、有元愛美子撮影
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)



雛祭り・上巳・桃の節句(3月3日 年中行事)
 「雛祭り(ひなまつり)」は、女の子の健やかな成長を願う伝統行事。3月3日は「上巳(じょうし)」または「桃の節句」と呼ばれる。
 一般的には「桃の節句」と呼ばれ、女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、桃の花・菱餅・雛あられを供えて祀り、白酒や寿司などの飲食を楽しむ節句祭りが行われる。
 雛祭りは江戸時代までは和暦(旧暦)の3月の節句(上巳、桃の節句)である3月3日(現在の4月頃)に行われていた。明治の改暦以後はグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なうことが一般的になった。東北・北陸など一部の地域では、旧暦3月3日または新暦4月3日に祝う文化が残っている。
 3月3日の「上巳(じょうし)」は「じょうみ」とも読み、1月7日の「人日(じんじつ)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(しちせき)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」とともに「五節句」の一つである。上旬の巳(み)の日の意味であり、元々は3月上旬の巳の日であったが、古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われている。旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であるため「桃の節句」と呼ばれる。
 上巳(桃の節句)の日には、紙製の小さな人形に穢れ(けがれ)を移して川や海に流して、災厄を祓う(はらう)祭礼を行っていた。この「流し雛」の風習は平安時代からあり、現在でも日本各地にその風習が残っている。その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展していった。
 雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には女の子の「人形遊び」と「節句の儀式」が結び付けられ、庶民の行事となった。
 元々は、5月5日の「端午の節句」とともに男女の区別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲(しょうぶ)の節句とも言われることから、尚武(しょうぶ:武道・武勇を重んじること)にかけて男の子の節句とされるようになった。

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