令和5年02月26日(日)
昨日、電験三種令和5年度上期の「法規」の予想問題の作成に取り掛かりました
昨日は朝から太陽が出て、午前中は晴れのy良い天気でしたが午後はすっかり曇りの天気となりました。
雨が降りそうな天気が続きましたが、雨が降らなかったので夕刻のウォーキングを65分間やりました。
昨日はパソコンの一日でした。
電験三種令和5年度上期の「法規」の予想問題の作成に取り掛かりました。
3月中旬の完成を目指して頑張りたいと思っております。
近所でご主人の訃報を耳にします。
統計的に概ね男が早くなくなるようです。
我が家でもそうなることと思います。
私が長生きしている間は家内も長生きすることと信じ私は頑張ります。
本日も朝から太陽が出ております。
海洋放出へ進む準備に揺れる地元 苦渋の決断を迫られ葛藤抱く人たち
朝日新聞の記事です。
東京電力福島第一原発の敷地にある高台に、貯蔵タンクが日を追って増えていく。その異観に、原発立地の双葉町や大熊町では「復興の妨げだ」との声もあがる。
国と東電も「処理水の海洋放出は廃炉には避けて通れない課題」と言う。(以下、省略)

海洋放出はやむを得ないのではないでしょうか。
ただ風評被害については、東電は応えていかなければなりません。
共同声明再び見送り ロシア・中国が反対 G20財務相会議が閉幕
朝日新聞の記事です。
インド南部のベンガルールで開かれた主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議は25日、共同声明を取りまとめられないまま閉幕した。
ウクライナ問題などを巡り、ロシア、中国と他の国の間で意見の溝があった。
インフレ(物価上昇)や途上国の債務問題などが深刻化する中、G20のメンバー国間の対立は続いたままだ。(以下、省略)

現状ではG20はまとまりません。
当分の間、合議する見通しは立っておりません。

インドが議長国を務めるG20の看板=2023年2月22日、インド南部のベンガルール、稲垣千駿撮影
患者虐待常態化?看護師ら追加告発へ 八王子の病院、高い死亡退院率
朝日新聞の記事です。
東京都八王子市の精神科「滝山病院」の看護師の男が入院患者への暴行容疑で警視庁に逮捕された事件で、患者らの代理人弁護士は近く、別の看護師ら9人前後について暴行罪などで追加で告発する方針を決めた。
同庁は逮捕された男を含む4人の告発状をすでに受理。
弁護士は、患者への虐待が院内で常態化していた恐れがあるとみて解明を求める。(以下、省略)

どの程度虐待されていたのかわかりませんが、患者が暴れまわるようであった場合は止める必要があります。
高い死亡退院率という文言は、虐待との関連で気になります。
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


二・二六事件の日(2月26日 記念日)
 1936年(昭和11年)のこの日、クーデター未遂事件「二・二六事件」が発生した。
 陸軍の皇道派の影響を受けた青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、1483名の下士官兵を率いて「昭和維新」と称して首相官邸等を襲撃した。内大臣・大蔵大臣等が殺害され、永田町一帯が占拠された。
 当初、陸軍の首脳部は青年将校たちの行動を容認する態度をとっていたが、海軍が鎮圧を要求し、天皇も同様の立場をとったので、29日に鎮圧を開始した。飛行機から「下士官兵ニ告グ」のビラを撒いて帰順を勧め、「今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ」との投降を呼びかけるラジオ放送を行った。

血液銀行開業記念日(2月26日 記念日)
 1951年(昭和26年)のこの日、日本初の血液銀行・株式会社日本ブラッドバンク(後のミドリ十字、吉富製薬と合併する等して現在は田辺三菱製薬)が大阪で開業した。
 血液銀行は、献血等により提供者から採取した血液を保存管理して輸血に必要な血液を確保し、必要に応じて供給する機関で、GHQの指示により設置された。翌1952年(昭和27年)に、日本赤十字社も血液銀行を設立した。
 1960年(昭和35年)8月、東京都にて「第8回国際輸血学会」が開催され、この学会にて「保存血の多量使用は肝炎の多発要因になる」との指摘があり、無理な売血による提供者の貧血問題、日本の保存血の大半が売血によって行われていることを、スイス・オランダの学者から取り上げられ、血液銀行の在り方が強く批判された。
 この批判によりマスコミの注目を浴び、金銭を得るために過度の売血を繰り返していた人たちの血液「黄色い血」への関心が高まった。1964年(昭和39年)8月、閣議決定により、厚生省は「保存血」は「日赤(日本赤十字社)」と「地方自治体」のみが取り扱う旨を全医療機関へ通知した。
 日本ブラッドバンクは、業績の42%を血液銀行部門に頼っていたが、行政指導により血液銀行部門を廃止し、医薬品部門の拡大に特化した「株式会社ミドリ十字」に商号変更。新社名は、創業以来の社章である「緑十字形」にちなんでつけられたものであった。

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