平成31年01月03日(木)
屋上菜園ネット天井部の切り取り
昨日も朝から太陽が出て、年末から良い天気が続いております。
毎年のことですが、雪が降ると屋上の菜園のネットが破れてしまいます。
今年はそれを防ぐために、ネットの天井の部分を切り取って保存することにしました。
そこで早速作業に取り掛かったのですが、風が吹いてネットが絡まったりそのため違うところを切断したりで思うようにいきませんでした。
昼食をはさんでようやく8割がたできました。
この続きはまた後日することにします。
本日も良い天気が続きそうです。
 「雪をみて二二六事けんを思ふ」昭和天皇の心境映すメモ
朝日新聞の記事です。
昭和天皇が御製(和歌)の推敲(すいこう)に使ったとみられる29枚の罫紙(けいし)とともに、心に浮かんだことを直筆で記したとみられる8枚のメモが残されていた。
罫紙とともに近しい人が保管していた。
メモには、雪の日に「二二六事けんを思ふ」などの記述があった。
見つかったメモは横7・5〜10・5センチ、縦8・8〜15センチのわら半紙8枚。
裏表にびっしりと和歌のようなものや、散文の書き付けが鉛筆で記され、内容から昭和50年代後半から60年代のものとみられる。
筆跡は、一緒に発見された29枚の罫紙と共通し、1987年5月の佐賀県訪問時の歌「はれわたるうれしの(の)をかに人々となゑうえをへてたねまきにけり」など罫紙の歌と同じものが少なくとも2首確認できた。(以下、省略)

本日朝刊の1面トップ記事です。
昭和天皇はまめな人であったようです。
几帳面な字で、紙一杯にメモされております。
メモの持ち主は伏せてありますが、どのような形で受け継がれたのでしょうか。

昭和天皇が記したとみられるメモ。
赤い線が引かれ、中ほどに「二二六事けんを思ふ」との記載があるのがわかる 
 「ぜひお顔を拝見したい」平成最後、新年一般参賀に行列
朝日新聞の記事です。
平成最後の新年一般参賀。
2日、在位中最後の参賀となる天皇陛下の姿を見ようと、全国から大勢の人たちが足を運んだ。
「ぜひお顔を拝見したい」。
兵庫県姫路市の女性(66)は前夜10時に整理券を受け取り、2日は午前5時前から並んだ。
先月の天皇陛下の誕生日前の記者会見で陛下が涙声で語る姿に感銘を受け、初めて訪れた。
高知県南国市の植野永子さん(64)は「平成最後だから」と、車いすに乗る父(90)と母(87)を「思い切って初めて連れてきました」。
「新しい時代は孫と来たいです」(以下、省略)

記事によると、平成最後の参賀ということで最多の15万人の方々が訪れたようです。
参列された方々は、天皇陛下の顔を見ることができたのでしょうか。
失礼ですが、私はテレビで拝見しました。
 
 最高峰に挑戦「不安はない」 三浦雄一郎さん、南米へ出発
朝日新聞の記事です。
南米大陸最高峰アコンカグア(標高6961メートル)への登頂とスキー滑降を目指すプロスキーヤー三浦雄一郎さん(86)が2日、東京・羽田空港から出国した。
現地時間の3日午後(日本時間4日未明)にアコンカグアのあるアルゼンチンに到着する見込み。
計画通り進めば、登頂とスキー滑降は21日前後になる。(以下、省略)

86歳で山登りをして、登頂よりスキーで滑降するというから驚きです。
山も6961mという高山です。
本当に根性のある方です。

クラーク記念国際高校の生徒から贈られた激励のメッセージ入りの旗とともに
記念撮影する三浦雄一郎さん(前列中央)=2日、羽田空港 
香川県の難読地名 その4(出典ウイキペディア)
百相 (もまい)高松市 仏生山町
焼堂 (やけど) 高松市 塩江町上西
除ヶ大向 (よけおおむかい) 高松市 塩江町安原上東
弓弦羽 (ゆずりは)高松市 亀水町
加沙越鼻 (かさこしはな) 丸亀市 手島町

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