平成27年04月03日(金)
ボケが満開です
昨日は朝から太陽が出て少し南風がありましたが、一日中快晴でぽかぽか陽気でした。
スポーツジムの帰り(夕刻)は、少し冷たい風が吹いておりましたが快適でした。
今朝も朝から太陽が出ております。
写真は我が家の庭のボケの花です。
ぽかぽか陽気でボケの花も満開となりました。
 
翁長知事、沖縄担当相と面会 5日に官房長官と会談
朝日新聞の記事です。
沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は2日上京し、米軍基地跡地の再開発を巡って山口俊一・沖縄北方担当相と会談した。
米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設先とされる同県名護市辺野古で、沖縄防衛局が3月中旬に海底ボーリング調査を再開してから、翁長氏が閣僚と会うのは初めて。
5日には、沖縄で菅義偉官房長官と会談する予定だ。
山口氏との会談は、国会で先月30日、跡地の買い上げを促進するための特措法改正案が可決・成立したことを受けたもの。
翁長氏は冒頭、「なかなか他の閣僚とお会いできない」と述べた。
会談後、記者団に「跡地利用が大変やりやすい法律ができた。これからもっと開発が進む」と述べた。
菅氏との会談については「(辺野古移設反対の)公約について話をする」と語った。(以下、省略)

5日、翁長氏は菅官房長官と会談をしますが、互いに言いたいことを言って終わりになると思います。
形の上でも話し合うということは大切なことではないでしょうか。
高野山開創1200年、大法会始まる 僧侶400人歩く
朝日新聞の記事です。
弘法大師・空海が真言密教の道場として高野山を開いて今年で1200年目となるのを記念する大法会(だいほうえ)が2日、和歌山県高野町の高野山上で始まった。
5月21日までの50日間、高野山真言宗の信者らのほか、他宗派の僧らも大勢参加して祝賀の儀式を営む。
高野山の聖地の一つ、壇上伽藍(だんじょうがらん)では午前6時、朝日が差し始める中を中西啓宝(けいほう)管長(81)ら約50人が参列し、地主神の神社に捧げ物の御幣(ごへい)を納めて期間中の無事を願った。
壇上伽藍には、空海が道場の適地を求めて留学中の中国・唐から投げた密教法具の「飛行(ひぎょう)三鈷杵(さんこしょ)」がひっかかったという伝説がある「三鈷の松」がある。
午前9時すぎには、高野山真言宗の総本山・金剛峯寺から僧侶約400人が出発。
空海が永遠の瞑想(めいそう)についたとされる奥の院で約1千年燃え続けていると伝わる灯明「聖燈(しょうとう)」や、1年かけて全国を巡った三鈷杵などを携え、壇上伽藍へと練り歩いた。(以下、省略)

過日初めて高野山をお参りをしたときは、別世界を思わせました。
ツアーでのお参りでしたのでゆっくりできませんでした、機会があったら高野山についてじっくりと学びたいものです。
 
インゲン豆の日
1673(延宝元)年の本日、インゲン豆を中国から持ってきたとされる隠元禅師が亡くなりました。
隠元禅師は1592(文禄元)年に中国の福建省で生まれました。
長崎の興福寺に招かれて来日した際、インゲン豆を禅の普茶料理(精進料理)の材料として普及させました。

日本橋開通記念日
1911(明治44)年、東京の日本橋が木橋から石橋に架け替えられました。
日本橋は、江戸時代から現在まで日本の道路交通の中心となっています。
橋の中央には国道の起点となる「日本国道路元標」が設置されています。

清水寺・みずの日
「し(4)み(3)ず」(清水)の語呂合せから、京都市の清水寺を始めとする全国の「清水寺」で作る「全国清水寺ネットワーク」が1998(平成10)年に制定しました。
京都市の清水寺で、水と環境に感謝する「心と地球の浄化祈願祭」が行われます。

シーサーの日
「シー(4)サー(3)」の語呂合せから制定されました。

ペルー日本友好の日
ペルー政府が1989(平成元)年8月20日に制定されました。
1899年、日本人移民790人が佐倉丸でペルーのアンコン港に上陸しました。

愛林日
1934(昭和9)年から実施されました。
1895(明治28)年に来日したノースロップ博士が講演で「愛林日(Arbor Day)」の精神を説き、 1898(明治31)年、本多静六林学博士の提唱により神武天皇祭の4月3日が「植栽日」となりました。
1933(昭和8)年に大日本山林会会長・和田国次郎、農林次官・石黒忠篤らにより、4月2日から4日までの3日間を「愛林日」として、全国一斉に愛林行事を催すことが提唱され、翌年、 日本初の中央植樹行事が茨城県の「鬼が作国有林」で行われました。
この中央植樹行事は現在「全国植樹祭」となっています。

悪天の特異日

本日は、天気が悪くなる確率の高い日であることから制定されました。

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