平成27年02月03日(火)
節分
昨日も朝から太陽が出て一日良い天気でしたが、肌寒い一日でした。
朝から仕事のため五反田へで出かけましたが、帰りがけにスポーツジムで汗を流しながら気分転換をしてきました。本日は節分です、我が家では家内が各部屋に豆をまきます。
その豆を鬼の私が拾ってつまみにして酒を飲みます。
恵方巻がいろいろなスーパーで売り出されております。
下の記述にありますが、今年は西南西に向かって恵方巻をかぶりついて無言で食べながら願い事を空想するようです。
途中でしゃべると幸運が逃げるそうです。
北海道・羅臼で記録的大雪 除雪に自衛隊出動
朝日新聞の記事です。
積雪量は2日正午に179センチに達し、気象庁の2005年の統計開始以来最高になった。
除雪に自衛隊も出動した。(以下、省略)

道路が雪でふさがれ、除雪車や重機も入れなくなったため、自衛隊に災害派遣を要請したようです。
釧路駐屯地から50人の隊員が10台の車両で救援に向かい、午後8時ごろまで雪かき作業を行ったとのことです。
またオホーツク海は大しけが続き、流氷観光砕氷船が欠航しキャンセルが相次いだそうです。
旅行者にとっては、現地まで行って欠航とは気の毒な話です。
 
かわいいぞ鬼、飾っておきたい 節分で「巻き寿司」に
朝日新聞の記事です。
3日は節分。
福岡市早良区の百道公民館で2日、鬼の絵や「福」の字をかたどった「飾り巻き寿司」の料理教室が開かれた。
講師の堤ゆかりさん(50)の指導で作る鬼の材料は、角が卵焼き、鼻がソーセージ、目がチーズ。
形を整えて巻き、断面にのりで作った眉や瞳を貼り付けて完成だ。(以下、省略)

写真で見ると、相当に大きな巻き寿司です。
かぶりつくにはあまりにも大きすぎます。
 
節分
節分、現在では立春の前日(太陽暦の2月3日か4日)をさしますが、もとはそれぞれの季節がおわる日、つまり立春、立夏、立秋、立冬の前日をいいました。
節分につきものの「鬼はらい(やらい)」の行事は、中国の大儺(たいな)が源流で、おそろしい形相の面をつけた呪師が疫鬼をおいはらう行事です。
日本では706年(慶雲3)に、たくさんの人民が疫病で死んだので、土の牛をつくって、はじめての鬼払い儀式が行われたことが、「続日本紀」に記されています。

節分といえば豆まきですが、最近では、恵方巻(えほうまき)といって、節分に食べる太巻きがブームになっています。
節分の夜にその年の恵方(えほう→歳徳神の住む方角で、その年に吉となる方角)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、無言で太巻きをまるかじりするそうです。

大岡越前の日
本名 大岡忠相(おおおかただすけ 1677〜1751)で、江戸中期の政治家です。
一般に大岡越前守(えちぜんのかみ)とよばれることが多いです。
譜代の旗本大岡忠高の4男として生れ、1868年(貞享3年)大岡忠真(おおおかただざね)の養子(ようし)となり、養父から1920石を相続しています。
1702年に書院番(しょいんばん→警備の仕事)となって以来、徒頭(かちがしら)、使番(つかいばん)、目付(めつけ)と順調に昇進し、1712年(正徳2)山田奉行に就任すると同時に能登守(のとのかみ)となりました。
1716年(享保元)普請奉行に転任し、8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)のもと、41歳で江戸の町奉行に昇進し、名前を越前守(えちぜんのかみ)とあらためました。
以後、約20年間同職をつとめています。

大豆の日
本日が豆撒きをする節分になることが多いことから、大豆製品を取扱うニチモウ(現 ニチモウバイオティックス)が制定しました。

乳酸菌の日
「にゅう(2)さん(3)」の語呂合せから、カゴメ株式会社が制定しました。

神社本庁設立記念日
1946(昭和21)年の本日、日本全国のほとんどの神社を包括している宗教法人・神社本庁が発足しました。
ただし、神社本庁自体は事務機関で崇敬の対象となるものではないことから、神社では特に祭礼などは行われません。

ジュディ・オングの日
台湾出身の歌手である彼女が、文化の架け橋として活躍したことを記念したものです。
アメリカ・ネバダ州が1990(平成2)年に制定しました。

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