平成25年02月26日(火)
 
 昨日は一昨日の酒がきいて、午前中は無駄な時間を過ごしました。
天気が良くて、穏やかな一日となりました。
今朝はあまり感じなかったのですが、ガジェットは―4℃となっておりました。
本日も良い天気が続くようです。
未来志向で緊密協力…麻生氏が朴大統領と会談
読売新聞の記事です。
麻生副総理は25日、韓国の朴槿恵パククネ大統領の就任式に出席し、就任式後に朴大統領と青瓦台チョンワデ(大統領府)で約25分間会談した。
北朝鮮の核・ミサイル問題などを念頭に、日韓両国が未来志向で緊密に協力していくことで一致した。
麻生氏は会談で、安倍首相からの祝意を伝えたうえで、「日本と韓国は、民主主義や法の支配など共通の価値観を有する大変重要な隣国同士で、関係を発展させていきたい」と述べた。(以下、省略)
これを機会に両国とも仲良くやってもらいたいものです。

25日、ソウルの青瓦台(大統領府)で麻生財務相(左)と握手を交わす朴槿恵大統領=ロイター
 
鳩山元首相、民主離党の考え 「別の行動をしたい」
朝日新聞の記事です。
昨年12月の衆院選に立候補しなかった鳩山由紀夫元首相は25日、札幌市で開かれた討論会に出席し、「総括や綱領を見て、昔の民主党とはあまりにかけ離れていると強く感じている。別の行動をしたい」と話し、離党する考えを示した。
民主党は衆院選大敗の原因を「トップによる失敗の連鎖」と明記する総括をまとめ、党再生のために初めて綱領も定めた。
鳩山氏は「総括を見ても、これでは民主党の再生はなかなか難しい」と指摘。
昨年7月に党員資格停止処分(3カ月間)を受けたことに触れ、離党について「元々、党員資格を奪われた以上、党員資格を長引かせるつもりはなかった」とも話した。(以下、省略)
本当に人騒がせな人でした。
民主党を壊したのは、鳩山氏ではなかったのではないでしょうか。

二・二六事件
二・二六事件は、77年前の1936年(昭和11年)2月26日から2月29日の4日間にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件です。
事件後しばらくは「不祥事件」「帝都不祥事件」とも呼ばれていました。
(参考)これはHPの一部を借用したものです
この事件で斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害され、首相官邸でも岡田啓介首相は難を逃れたものの義弟の松尾伝蔵陸軍大佐が身代わりになって殺されました。
政府はあまりのできごとに動揺、どう対処していいか分からずに右往左往していたところ、めったに政治的な問題で意見を言わない昭和天皇が「彼らは賊軍である」と断定、「反乱軍をただちに鎮圧せよ。お前達にできないなら自分が近衛部隊を率いて鎮定に当たる」と激怒の言葉を発します。
翌27日になってやっと東京市に戒厳令が施行、28日になると戒厳司令部の香椎長官は次のような「兵に告ぐ」というビラを撒きます。
今からでも遅くないから原隊へ帰れ。抵抗する者は全部逆賊であるから射殺する。お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ。兵や下士官たちに動揺が起き、やがて大勢は帰順、一部の幹部は自決し、残るものは全員逮捕されました。
軍法会議により香田清貞ほか17名が死刑に処せられ事件は終わりました。
しかしこの後更に彼らの路線を引き継ぐものたちが軍部内で台頭し、やがてその代表として東条英機が登場。
日本は深い戦争の泥沼の中に引きずり込まれていきます。

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