平成25年01月12日(土)
 
本日は懇親会があります
昨日は朝から太陽が出て、気温が8℃くらいまで上がったようですが外気は冷たく感じました。
ただ、日だまりにたたずむと温かく、春が来たようでした。
スポーツジムが休館日のため、夕刻久しぶりに市民プールへ行きました。
いるか軍団8名(高校生男3名、女性5名)が来て、賑わいました。
本日午後より仕事に出かけますが、本日の仕事を終えると3月末までお休みです。
休み中は、計画を立て有意義に過ごしたいと思います。
なお本日仕事を終えて、夕刻より懇親会があります。
家にたどり着くまでが仕事です。
飲みすぎないように十分に注意をしてきます。
私の悪い癖で、はじめは緊張してブレーキをかけて飲むのですが、飲みだすと段々にブレーキを忘れてアクセルを踏んでしまうのです。
 南極観測船しらせ、接岸断念 2季連続
朝日新聞の記事です。
昭和基地をめざして南極海を航行していた南極観測船「しらせ」について、南極地域観測統合推進本部は11日、基地まであと18キロの地点で接岸を断念したと発表した。
周囲は厚さ5メートルの海氷に1メートルの積雪があり、前進できなくなった。
断念は2季連続。
基地への物資輸送が滞り、観測への影響は避けられないという。
しらせは、基地へ届ける燃料などの物資1082トンを積んでいる。
越冬には最低でもその7割は必要だ。
しらせが基地へ約1キロまで近づければ、パイプを延ばして基地へ燃料を送り込めるが、18年ぶりに接岸できなかった昨季は、搭載していたヘリコプターと雪上車で約20キロの距離をピストン輸送した。
だが、予定量の6割強しか運べず、燃料は基地の備蓄に頼っている。

厚さが5mの氷など想像できません。
あと18km、仕方がないと思いますが、予測できたはずですから大型の雪上車を使用するとか台数を増やすとか工夫はできないのでしょうか。
折角、現地近くまで運んで、4割を持ち帰るとは不経済に思われて仕方がありません。

 「日本一早い!」チューリップ祭りはどこで?
読売新聞の記事です。
浜松市西区舘山寺町のはままつフラワーパークで開催中の「日本一早い!チューリップフェア」で、促成栽培のチューリップが8分咲きとなり、赤やピンク、黄色の鮮やかな色が来園者を楽しませている。
同園は昨年9月頃から球根を冷やし、その後、温室で育てて開花を早めたチューリップ約2万本を正面入り口に咲かせた。
約1週間で満開になり、1か月ぐらい楽しめるという。
フェアは27日までだが、その後もしばらく展示するという。
愛知県豊明市の男性(44)は「外にチューリップが咲いていたのでびっくりした」と笑顔で話していた。

写真で見ると見事に咲いております。
球根を冷やしてその後、温室で育てて開花を早めるとは知りませんでした。
これは素人にでもできるのでしょうか。

 
トラピスチヌ修道院(北海道函館市)
明治31年にフランスから派遣された8人の修道女が設立した日本初の女子修道院です。
園内には、テレジア、ジャンヌダルク、天使ミカエルなどの聖像や資料館があり、道なりに牧歌的な草原が広がっており、売店で手造りのロザリオや菓子を販売しておりました。
修道女らは祈り、労働、聖なる読書を日課の3本柱に共同生活を送っているそうです。
祈りは3時半の起床から、19時45分の就寝までに7回毎日行うと聞きました。
生計を立てる収益事業として製造するマダレナケーキやバター飴は、修道院を訪れた際の土産物として資料室で販売されておりました。

大天使聖ミカエル
ミカエルという名前には、神のような者とか、神に似た者とか、そう言う意味があるそうです。この力強さと偉大さゆえか、世界中多くの国や団体から保護者として仰がれています。 天軍の総帥であり、旧約のダニエル書、新約では、ユダの手紙や黙示録にその名が出てくる、まさに誰でも知っている有名な天使です。
ことに黙示録において、サタンとその使い達を打ち負かすと預言されています。 

中央右側の建物が売店に併設する資料室です
見学でき、院内での生活や修道院の歴史などを紹介していました

聖テレジアの像
フランスから贈られたものです。
「幼きイエスのテレーズ」いう修道名を持つフランスの修道女でしたが、僅か9年の修道生活の後、24歳の若さでこの世を去りました。
死後、彼女の著作が世界中で読まれ知られることとなり、「小さき花のテレジア」とも呼ばれるようになったそうです。


マリアとベルナデッタ
1858年、南フランスにある「ルルドの洞窟」で、近くに住んでいた14歳の少女の前に聖母マリアが現れました。
少女が聖母のお告げ通りに地面を手で掘り返すと、泉が湧き出し、その水によって多く病人が癒された、との事です。
これは、祈りをささげる少女と聖母マリアとの対面シーンを模したもの。

トラビスチヌ修道院全景
積雪のため、前庭より奥へは入れませんでした

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