平成21年05月24日(日)
 

虎ノ門金刀比羅宮

昨日は予定通り総会に出席をしました。
懇親会は、早々に引き上げました。
この勇気が大切なのです。

今は雨も上がっておりますが、夜中には相当に強い雨が降っておりました。

新聞の報道によると、盧前大統領は昨日登山中の午前6時40分ごろ岩から飛び降りて自殺をしたようです。
遺書の中で、「これまでとてもつらかった。多くの人を苦しめた。本を読むこともできない」と心情を吐露し、「恨まないでもらいたい。生と死は1つではないか。周辺に小さな石碑を1つ建ててほしい」と記していたようです。
また、火葬してほしいとも綴られていたようです。

悩み続けた結果なのでしょうが、人間は弱いものですね。
世の中にはいろいろな誘惑があります。
誘惑に負けないように、毎日を有意義に過ごしましょう。
 
本日は、「虎ノ門」の駅すぐ近くにあります「虎ノ門金刀比羅宮」をスナップ写真とともに紹介します。

虎ノ門金刀比羅宮について(HPより)
讃岐丸亀藩主の京極高知が領地・讃岐の金刀比羅宮大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請。その後延宝7年(1679)に現在の虎ノ門に移る。こんぴら人気が高まった文化年間に京極家では毎月10日に限り一般の参詣を許し、大変賑わったといわれる。
 社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに總尾州檜造り、銅板葦きである。日本最初の建築史家伊東忠太の設計校閲による建物で我が国古来の建築技法が随所に用いられている。
 なお、社殿の奥の本殿は昭和58年(1983)に復興されたもので、鉄筋コンクリート造り、銅板葦きとなっている。
 入り口にある碑  
  歩道に面して立っている鳥居
ぼかしてあります
 
 入り口を入ってすぐ右側にある説明版  
 銅鳥居(説明文はHPより)
 この銅鳥居は、虎門外の讃岐丸亀藩京極家(約五万石の大名)の江戸屋敷に勧請された金毘羅宮(現金刀比羅宮)の鳥居です。文政四年(一八二一)十月に奉納された明神型鳥居で、「金刀比羅大神」の扁額が掲げられています。円柱には青竜・玄武・朱雀・白虎の霊鳥・霊獣が飾られ、下部には奉納関係者の名前が刻まれています。願主・世話人の多くは芝地域の商人と職人でした。
 江戸市中の地名・人名もみられます。
 
 拝殿  
 百度石(説明文はHPより)
いわゆる「お百度参り」の祭に用いられたもので、神殿とこの石を往復して願掛けをしました。
 願掛けの一種である「お百度参り」は江戸時代に盛んに行われましたが、特に都市部に目立つ個人祈願の一形態で、その多くは病気治癒の願掛けであったといわれます
 

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