平成21年04月21日(火)
 

増上寺

どんよりと曇った朝を迎えました。
予報では、午後より雨が降るように伝えております。
今朝、愛犬(城)と散歩をしている時、鶯が鳴いておりましたがあまり上手ではありませんでした。
これから練習を重ねて、うまくなることでしょう。
屋上の農場の苗木を見ますと、すくすくと育っておりました。
キュウリが小さな実をつけておりました。

さて本日は、「増上寺」をHPやスナップ写真より紹介します。
 増上寺への第一の門  
 大門
当山の総門・表門にあたり、地名の由来になっている門です。現在のものは国道の通行整備のため、昭和十二年に原型より大きく、コンクリート製に作り直されたものですが、旧大門は慶長三年(一五九八)に江戸城の拡張・造営にあたり、増上寺が芝に移転した際、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、徳川家康公より寺の表門として譲られたものでありました。その旧大門は大正十二年(一九二三)の関東大震災により倒壊しかかったため、両国・回向院に移築されましたが昭和二十年の空襲により焼失した。
 

大門(HPより)
 大門前の碑  
 大門入り口に掲げられておりました  
 歴史 (HPより)
増上寺が開かれたのは、明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖聖聡(しょうそう)上人によって開かれました。
場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられています。
室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展していきます。

安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました(天正十八年、1590年)。家康公がときの住職存応(ぞんのう)上人に深く帰依したため、と伝えられています。
慶長三年(1598年)には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。
三解脱門(さんげだつもん)、経蔵、大殿の建立、三大蔵経の寄進などがあいつぎ、朝廷からは存応上人へ「普光観智国師」号の下賜と常紫衣(じょうしえ)の勅許もありました。
家康公は元和二年(1616年)増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で歿しました。 
 徳川将軍家墓所
増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がもうけられています。
墓所には各公の正室と側室の墓ももうけられているが、その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮も含まれています。
現存する徳川家墓所は、門が本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の中門(なかもん)で、内部に各公の石塔と各大名寄進の石灯籠が配置されています。
 
 鋳抜門
左右の扉に五個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている(青銅製)
内部に各公の石塔と各大名寄進の石灯籠が配置されています
公開日以外には、中に入ることはできません


 
 大殿
昭和四十九年、伝統的な寺院建築様式の中に現代建築の枠を結集して再建されました。本堂に御座します、ご本尊阿弥陀如来(室町期製作)は、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られ、参拝される方々の厚い信仰をあつめています。大殿は、浄土宗大本山としての根本道場をはじめ、あらゆる儀式法要が行えるよう斬新な企画で設計されました。


真後ろに東京タワーが見えます
すぐ後ろに見えますが、歩くと比較的に距離があります
 
 阿弥陀如来像
恵心僧都(えしんそうず)の作とも伝えられるこの阿弥陀如来像を家康公は深く尊崇し、陣中にも奉持して戦の勝利を祈願した。その歿後増上寺に奉納されたましたが、勝運、災難よけの霊験あらたかな仏として、江戸以来広く庶民の尊崇を集めてきています。


遠くてフラッシュが届きませんでした 
 安国殿
恵心僧都の作と伝えられる秘仏黒本尊(阿弥陀如来)が祀られています。(御開帳・祈願会、正月・五月・九月の十五日)黒本尊は家康公が深く尊崇し、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像で、勝運・厄除けの仏様として江戸時代以来、広く人々の尊崇をあつめています。
御丈二尺六寸の立像は、その昔、金箔燦然と輝く金色の御躰でしたが、長年の香煙によって黒ずんだことから黒本尊と申し上げるようになりました。



安国殿



黒本尊(HPより)
 
 光摂殿
二十一世紀を迎え、「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂、道場として、光摂殿が完成しました。その大広間の格天井には、日本画壇の画伯方が精魂込めて描かれた草花図が奉納されてはめ込まれ、百華となって花開きます。その天井絵は二十一世紀への美術遺産として伝えつがれ、集う人に計り知れない功徳となることでしょう。


 

光摂殿内部(HPより)
   
 千躰子育地蔵尊
子育て安産に霊験あらたかとされる西向観音にちなみ、子供の無事成長、健康を願い昭和50年より順次奉安されております。毎年4月に大祭、7月には盆踊り大会が開催されます。
 
 四菩薩像
徳川家霊廟の前に、四体の石像があります。右から普賢菩薩、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩、文殊菩薩の四菩薩像です。鎌倉時代の1285年に作られた大変由緒のある仏像とのことです。
菩薩とは、修行中の仏のことです。上記の四菩薩は、お釈迦様の四つの知恵をあらわす仏様だそうです。


 
 聖観世音菩薩
門を入ってすぐ左手に10メートルもあろうかという巨大な石仏像が見えます。
当寺からさほど遠くない場所にあったホテルニュージャパンで火災が発生し、多数の人命が失われたのを悼んで建立された「聖観世音菩薩」です。
この近くに、「聖鋏観音像」というお像もあります。美容家の山野愛子さんの提唱で、ハサミを供養するために建立したものです。
毎年8月3日の「鋏の日」には、この観音像の前で鋏供養が行われるそうです。
 
 増上寺の最も奥に一般の墓地があります
そこから、東京タワーを望みました
 

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