平成21年03月12日(木)
 

八王子千人同心(東京都八王子市)

本日はとても冷え込みましたが、快晴の天気となりそうです。
愛犬(城)も寒いためか、朝方はサンルームのベットで丸くなっておりました。
大きな声で呼んでも、知らぬふりをしておりました。

先日、「新宿百人町」について投稿しましたが、本日は千人町です。
東京都八王子市に千人町という地名がありますが、私が最後に勤めた職場がここにありました。
八王子市は、織物、染物の町として栄え、昔は機織の音があちこちで「パタン、パタン」と聞こえたそうです。
また、桑畑が一面に広がっていたようです。
今は、その名残は一切ありません。
八王子市の銘酒として、「桑の都」という酒は現在でも有名です。

八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)は、江戸幕府の職制のひとつで、武蔵国多摩郡八王子(現八王子市)に配置された郷士身分の幕臣集団のことです。
任務は甲州口(武蔵・甲斐国境)の警備と治安維持であったそうです。
明治維新後は集団で北海道に入植して、苫小牧市の基礎を作ったようです。
以下、HPより抜粋しますので、興味のある方は読んでください。

沿革
徳川家康の江戸入府に伴い、1600年(慶長5年)に発足した。当初は代官頭大久保長安が統括した。
千人同心は、甲斐武田家の滅亡後に徳川氏によって庇護された武田遺臣を中心に、近在の地侍・豪農などで組織された。甲州街道の宿場である八王子を拠点としたのは、武田家遺臣を中心に甲斐方面からの侵攻に備えたためである。甲斐が天領に編入され、太平が続いて国境警備としての役割が薄れると、1652年からは交代で家康を祀る日光東照宮を警備する日光勤番が主な仕事となった。

組織
十組・各百人で編成され、各組には千人同心組頭が置かれ、旗本身分の八王子千人頭によって統率され、槍奉行の支配を受けた。千人頭は200〜500石取りの旗本として遇され、同心は御家人として遇され、禄高は10俵1人扶持〜30俵1人扶持である。

千人同心は警備を主任務とする軍事組織であり、同心たちは徳川将軍家直参の武士として禄を受け取ったが、その一方で平時は農耕に従事し、年貢も納める半士半農といった立場であった。

八王子の甲州街道と陣馬街道の分岐点に広大な敷地が与えられた。現在の八王子市千人町に、千人頭の屋敷と千人同心の組屋敷があったといわれる。


桑の都



八王子千人同心屋敷跡の記念碑




写真は、我が家の庭の「ヒマラヤユキノシタ」です

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