平成21年03月02日(月)
 

六然(りくぜん)

昨日はどんよりと曇った一日でした。
都心では、一時雨が降りました。
本日はからりと晴れて、素晴らしい天気を迎えました。


本日は、「六然(りくぜん)」という言葉について、考えてみたいと思います。

「六然(りくぜん)」、これは私が定年退職をするとき、ある社長さんから頂いた座右の銘です。(写真は、社長さんの直筆)

私が退職後、有意義な生涯を送るように、戒めの言葉として贈られたものです。

その六然とは

自処超然(じしょちょうぜん)
自分自身に関してはいっこう物にとらわれないようにする。

人処藹然(じんしょあいぜん)
人に接して相手を楽しませ心地良くさせる。

有事斬然(ゆうじざんぜん)
事があるときはぐずぐすしないで活発にやる。

無事澄然(ぶじちょうぜん)
事なきときは水のように澄んだ気でおる。

得意澹然(とくいたんぜん)
得意なときは、おごりたかぶらず平常心であること

失意泰然(しついたいぜん)
絶望の底にあっても、動ぜず、落ち着いていること

王陽明の心を動かしたメッセージが、六然だそうです。


王陽明は、1472〜1528中国の明代の儒学の大思想家で、陽明学を誕生させた偉人である。浙江の紹興府余姚県の人。字は伯安,号は陽明,諡は文成。青年時代は硬直化した朱子学にあき足らず,任侠・騎射・詩文・仏教・道教などに熱中した。1499年(弘治12)に進士となるが,1506年(正徳1)に当時の有力宦官劉瑾に反抗して貴州の竜場に流され,そこで“心即理”“知行合一”を旨とする哲学的真理に達した。4年後,劉瑾の失脚により赦されて中央に復帰するが,すでに中国各地には極端な荒政により重大な社会不安が広まっており,その思想に多くの試練の場を与えることとなった。1516年(正徳11),ナンカン巡撫として江西・広東・福建の3省交界地帯の反乱鎮圧を担当,保甲制度や郷約の刷新を行って成果をあげた。1519年(正徳14)には南昌の寧王朱宸濠の反乱を即座に鎮圧して新建伯に封ぜられた。しばらく郷果の紹興府で講学生活を送ったのち,1527年(嘉靖6)に広西の少数民族の反乱鎮圧に出征,その帰途に江西の南安府で没した。その全集に『王文成公全書』がある。
日本では、多くの明治の偉人はもとより、吉田松陰や大塩平八郎も 王陽明の教えに深い影響を受けている。

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