平成21年02月11日(水)
 

大國魂神社((おおくにたまじんじゃ))(府中市)

昨日は、3月の気候の暖かさでした。
本日は、朝からどんよりと曇った天気で、夕刻には雨になるようです。
肌寒い一日となるようです。


本日は東京都府中市にあります、「大國魂神社」を紹介します。
「くらやみ祭り」で有名です。
祭りのときは、身動きが出来ないほど込み合います。
東京競馬場の近くにあります。

所在地
〒183ー0023東京都府中市宮町3-1
TEL:042ー362ー2130
FAX:042ー335ー2621

アクセス
電車: 京王線 府中駅から徒歩5分 競馬場正門前から徒歩5分
JR 南武線、武蔵野線 府中本町駅から徒歩5分
車: 中央高速 国立府中ICから10分/調布ICから15分

以下、HPより紹介をします。
興味のある方は、読んでください。

由緒

当社のご祭神は、大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。

この大神は素盞鳴尊[すさのおのみこと]の御子神でむかしこの国土を開拓され、 人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えられこの国土を経営されたが、 天孫降臨に際してその国土を、天孫瓊々杵[ににぎの]尊にたてまつり、 出雲の杵築の大社に鎮座されました神であることは、世に知られるところである。
当社の起源は、人皇第十二代景行天皇四十一(111)年五月五日大神の託宣に依って 創立されたものである。出雲臣天穂日命[のおみあめのほひのみこと]の後裔が初めて 武蔵国造[くにのみやつこ]に任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕して その祭務を掌られたといわれ、その後、孝徳天皇(645-654)の御代に至り、 大化の改新(645年)のとき、武蔵の国府をこの処に置くようになり、 当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して、国内の祭務を総轄する所にあてられた。

又、国司が国内社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、 これが即ち武蔵総社の起源である。

後に本殿の両側に国内著名の神、六所[ろくしょ](小野大神・小河大神・氷川大神・ 秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して、六所宮とも称せられるようになった。

寿永元年(1182)に至り、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、 その室、政子の安産の祈願が行われた。
文治二年(1186)頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営し、また貞永元年 (1232)二月、将軍頼経の代にも武蔵守資頼を奉行として社殿が修造せられた。

又、天正十八年(1590)八月、徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社であるために殊に崇敬の誠をつくし、社領五百石を寄進され、 社殿及びその他の造営に心力をつくされた。

正保三年(1646)十月、類焼により社殿は焼失したが、寛文七年(1667) 将軍家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。 形式は三殿を横につらねた朱塗りの相殿造りで、屋根は流造りであるが、 慶応年間に檜皮葺[ひわだぶき]が銅葺に改められた。 又、本殿は都文化財に指定されている。

明治元年(1868)勅祭社に準ぜられ、同七年(1874)県社に列し、 同十八年官幣小社に列せられた。

本社はもともと大國魂神社と称したが、中古以降、武蔵の総社となり、 又国内著名の神六所を配祀したので、「武蔵総社六所宮」の社号を用いた。ところが 明治四年(1871)に、もとの社号に復し「大國魂神社」と称するようになった。

当社は神威殊に顕著であるので、古来より崇敬者は、武蔵はもちろん、 関東一円に亘っている。
五月五日には例大祭が行われるが、この祭が有名な国府祭で、当夜八基の 神輿が古式の行列を整え、消燈して闇夜に御旅所に神幸するので、 俗に「闇夜[くらやみ]祭」といわれている。 現在では昭和三十六年(1961)より神輿の渡御は夕刻に改められた。

5月5日の例大祭に渡御する神輿、大太鼓を一階に納め、二階に御神宝類を展示する目的で建てられ、昭和49年5月末日で完成した(建坪百二十坪)。

近代設備を備え、建設費は氏子崇敬者の協賛によったものである

暗やみ祭り
くらやみ祭り・大祭中の諸行事及び神事
4月30日 午前9時30分頃出発 午後3時30分頃帰社
品川海上禊祓式(汐汲み・お浜降り)
神職及び所役が品川沖に出て手や口を海水で清め、汐水を樽にいれて持ち帰り、大祭期間中の朝夕潔斎時にはこの汐水を使用する。

5月1日 午前9時30分頃より

祈晴祭(一日祭の後引き続き行う)
大祭期間中の安全と共に 雨の降らない事を祈る祭典


5月2日 午後7時30分〜8時頃
御鏡磨式
神輿に付ける鏡を8枚、塩で磨き清める儀式(野口・堀江両氏)但し現在は磨いた後本殿に納める。
目的 : 鏡とは己自身だけでなく己の心をも映し出す物であるということから、鏡を磨く事により神輿奉持者の心も磨き清める。
由来 : その昔は、高価であると思われた鏡を神社に奉納し神輿に装着してその鏡を叩き、その音で魔を払ったとも思われる。魔除に使用する鏡を祭礼前に清めるのは必要不可欠な神事である。


5月3日 午後8時
競馬式(こまくらべ)
欅並木を一から六之駒、6頭が150mの距離を3往復する。
馬自体は競馬場よりの奉納。
目的 : 国司時代より府中周辺に牧が多数在り、駿馬が多く産出された歴史を伝えると共に祭典の一環を為す。
由来 : 国司時代、国司が朝廷に馬を貢上した際に、この場所で牧馬の良否を検閲するために起こった。
装具 : 騎手は烏帽子・直垂にて奉仕するが鞍は現代の鞍(和鞍ではない)を使用している。


競馬式(こまくらべ)のいわれ

大國魂神社例大祭は、4月30日より5月6日迄の間に、 様々な行事が多彩に執り行われるが、 5月3日夜行われるこの式は、往古国司によって行われた。その頃、武蔵国府の周辺には、武士の勃興と共に 多数の牧が増え、良馬が多く産出するようになった。国司は駿馬を朝廷に献上するために、良馬を府中に集め、 馬場で走らせ、検閲の上選定した。
その行事が今は競馬式(こまくらべ)と呼ばれ、約千年以上続けられた古式である。現在は午後7時騎士4人が馬を牽き、瀧神社にて馬を清め、神社に集合し、関係者一同は 御祓いを受けた後、社前に整列し、一之駒より順次欅並木西側の馬場に向かう。到着後、発走前に「名対面の儀」(国司に馬を見せ、馬と騎士の名を報告)を行い、 順次発走し、三往復行う。
これは速さや着順を競うものではなく、検閲の為のものである。終了すると神社大鳥居下で一同は解散する。


5月3日 午後6時〜8時

山車の競演  欅並木に山車が約8台出てはやし立てる
朝・・・8時30分頃、神輿を宝物殿より出してお白州に運び込む

5月4日

御綱祭 午後9時
神輿に飾りの綱を掛け神輿をお祓いする祭典、この日にお祓いをしてから初めて神職により綱が掛けられ御霊がお移りになる準備を終了する。

萬燈大会 午後1時〜2時30分頃
昭和54年(1979)より始められた。それ以前は各町内子供神輿の後に付いていた。現在は、萬燈にて競い合う。

子供神輿渡御 午後1時30分頃
子供神輿約20基をお祓いし、その後子供神輿が町を練り歩く

山車の巡行 午後6時〜9時
山車が18台、旧甲州街道を行列する

5月5日

■例祭 午前10時 年中行事で最も重要な祭儀
■道清め 午後1時30分 神輿・太鼓の通る道をお祓いして歩く儀式
■太鼓送り込み 午後2時30分 御先祓大太鼓を始めとする、 6張の大太鼓を御神前まで曳いてくる
■宮乃神社奉幣 午後2時 境内摂社に行き奉幣行事を行う
■御饌催促の儀 午後3時30分 細谷・浦野両氏により神前に供える料理を調理催促する儀式
■動座祭 午後3時30分 御霊を御本殿より神輿に移す事を神前に報告する祭典
■威儀物授与 午後5時20分頃 神輿の露祓いの意味で奉持する刀や弓を渡す儀式
■御霊遷の儀 午後5時20分 各神輿に本殿から御霊を移す神事
■神輿渡御 午後6時 8基の神輿が御本殿から御旅所へお移りいただく神事(くらやみ祭のメイン)
■坪の宮奉幣 午後8時30分 境外末社、坪の宮に奉幣の儀式を行う神事
■野口仮屋の儀 午後10時30分 大国主の大神が当地に降臨したとき野口家に 一泊の宿を求めた故事に基づく事柄を具現する神事
■やぶさめの儀 午後11時 宮司が野口仮屋の儀の後、馬に乗り的を射る神事(但し鎌倉の鶴岡八幡宮の神事とは趣を異にする)
※やぶさめの儀では矢が必ず的に当たるので、当社では「やぶさめあたり矢」という名前で御神矢を授与している

5月6日

還御(おかえり) 午前4時から8時頃
午前4時に御旅所を神輿が出て町内を練り歩き午前7時半までに神社境内に還ってくる。
午前7時半から8時頃には8基全ての神輿が神社参道に揃う

鎮座祭 午前9時頃

還ってきた神輿から御霊を本殿に納めて無事大祭が終了した事を報告する祭典
   
  

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