日本三大

   三大湖

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琵琶湖(滋賀県)
琵琶湖が形成された時期は、約400万年〜600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖であった(大山田湖)。このため伊賀地方は土質が農業に不適で、生計を立てるための特殊技能集団がやがて忍者を発生させた。 湖は次第に北へ移動し、比良山系によって止められる形で現在の琵琶湖の位置に至ったという。大山田湖以前、現在の琵琶湖の位置には山(古琵琶湖山脈)があり、鈴鹿山脈は未だ隆起せず、今日の琵琶湖東南部の河川は伊勢湾へ流れていた。それを裏付けるように、鈴鹿山脈の主要な地質は礫岩である。また、琵琶湖に流入する最大の川で、東南に位置する野洲川は、当時西方ではなく、東方へ流れていたという。
世界の湖の中でも、バイカル湖やタンガニーカ湖に次いで3番目に古い古代湖であると目されている。

衛星写真
霞ヶ浦(茨城県・千葉県)
約12万年前の下末吉海進と呼ばれた時代、霞ヶ浦の周辺は関東平野の多くと同じく古東京湾の海底であり、7万2千年前ごろの最終氷期の始まりとともに徐々に陸地化したと考えられている。2万年前には陸地化とともに出来た川筋によって現在の霞ヶ浦の地形の基礎を形作られたという。1万数千年前の縄文海進では、低地が古鬼怒湾とよばれる海の入り江となったとされる。現在霞ヶ浦周辺で多く見られる貝塚はこの時期に形成されたと考えられている。
4世紀から7世紀にかけて霞ヶ浦周辺でも古墳が築造されるようになり、当時のヤマト王権と手を結ぶような勢力を持つ豪族があらわれるようになる。720年代に書かれたという『常陸国風土記』によれば、霞ヶ浦は塩を生産したり、多くの海水魚が生息するような内海であった。その後、鬼怒川や小貝川による堆積の影響から、海からの海水の流入が妨げられるようになって淡水が混じりはじめ、汽水湖となっていったと考えられている。

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サロマ湖(北海道)
オホーツク海の湾入部が堆砂によって海と切り離された海跡湖。豊富な海産物を求めて古くから集落ができており、特に常呂町栄浦では続縄文時代からオホーツク文化、アイヌ文化と続く建物跡やそれに伴う遺物が狭い範囲から多量に発掘されており、考古学的に貴重。東京大学文学部の施設がある。
かつては恒久的な湖口を持たず、春になると砂州東端の鐺沸(とうふつ)近くに湖口が開き、秋になると漂砂で閉塞していた。湖水位の上昇を防ぐため、毎年融雪期になると住民達は人為的に湖口を開削していた。
1929年、湧別町の住民達が西寄りにある三里番屋付近に新たな湖口を試削したところ、これが永久湖口となり、以降鐺沸湖口が開かれることはなくなった。1979年には常呂町(現・北見市)側に第二湖口が開かれた。
永久湖口の開削以降サロマ湖への海水の流入は増え、湖水の塩分は海水に近いものとなり、海水魚も多く入り込むようになった。

展望台からの眺め

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