日本三大

 41 三大花火大会

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全国花火競技大会(秋田県大仙市)
全国花火競技大会(ぜんこくはなびきょうぎたいかい)とは秋田県大仙市大曲地区の雄物川河川敷運動公園おいて、例年8月第4土曜日に開催される花火大会である。観光PRにおいては地名を付した「大曲全国花火競技大会」あるいは「大曲の花火」とも呼ばれるが、数ある競技会の中で「全国花火競技大会」と言えば当大会を指す。
概要
日本煙火協会が後援し、かつ、内閣総理大臣賞が与えられるのは、全国で当大会と土浦全国花火競技大会(茨城県土浦市)の2大会のみであり、当大会が日本国内では最も権威のある競技大会とされる。会場対岸には姫神山、福伝山などがあり、それらの山に反射する音と花火観覧の邪魔になる光がないこともこの大会の自慢の1つである。1910年(明治43年)に創始され、第二次世界大戦による中断を経て2009年(平成21年)で83回目の開催となった。
昼花火の競技大会が行われることで有名で、主催者によれば日本国内で昼花火の競技大会はこの大会のみであるとされる。また競技会の合間にテーマに合わせて打上げられるワイドスターマイン「大会提供花火」は毎年大変な人気で、大曲花火協同組合青年部が1年かけて製作する。「大会提供花火」は1セットのスターマインではなく一列に並んで何カ所も打ち上げられ、音楽に合わせて約5〜7分に渡り壮大な打ち上げを行う。フィナーレの速射連発、数カ所からシンクロで上がるトラの尾、一斉に上がる銀冠・錦冠は圧巻。西ドイツ・ハンガリー・台湾・韓国など、海外でも何度か打ち上げられた大作である。
競技内容は17時頃に開始される昼花火の部と19時から開始される夜花火の部に分かれ、夜花火の部のほうが規模が大きい。昼花火の部は5号早打ち5発、割物または煙竜。夜花火の部は課題・自由玉の10号玉それぞれ1発の10号割物の部と創造花火の部で競われる。創造花火は「花火は丸い」という概念を破り創造性を追及する。したがって、形は従来の丸型にこだわることなく三角でも四角でもよい。最近、他の花火大会でも笑顔やアニメキャラクターやヒマワリ、麦わら帽子、サングラスとお馴染みになったがこのような創作花火はこの全国花火競技大会が発祥とされている。テーマをもうけて2分30秒以内で形態、色彩、リズム感、立体感などの創造性を審査する。主流は速射連発(スターマイン)だが、8号玉早打ちでも良い。総合優勝者には内閣総理大臣賞、創造花火の部優勝に経済産業大臣賞、10号割物の部優勝には中小企業庁長官賞、昼花火の部優勝に大会会長賞が与えられる。また特別賞で文部科学大臣奨励賞がある。
ちなみに、競技玉は作った本人が打ち上げなければならない。また安全面から花火の火の粉が消えずに地面に触れたら減点などの基準があり、この事からもこの大会が日本のトップクラスの競技会であると言える。


全国花火競技大会 第80回大会(2006年)
土浦全国花火競技大会(茨城県土浦市)
土浦全国花火競技大会(つちうらぜんこくはなびきょうぎたいかい)とは茨城県土浦市で開催される花火大会であり、地元では土浦の花火とも呼ばれる。日本三大花火大会であり、日本煙火協会が後援する2つの競技大会のうちの1つである。毎年10月第1土曜日(荒天時は延期)、日本各地の大規模な花火大会が終わった秋季に開催される。2007年現在、開催回数は76回。創始は1925年。途中、第二次世界大戦による中断があった。
会場は土浦市の桜川学園大橋付近下流側河川敷。毎年、全国から70万人以上が訪れる。来客数では茨城県最大の規模を誇るイベントである。
概要
例年、打ち上げは18:00(JST)開始で20:30まで行われる。
現在はスターマイン(速射連発)の部、10号玉の部、創造花火の部で競われている。以前、スターマインは仕掛け花火の一部として扱われていたが1959年にこの大会が「速射連発の部」を設けたことがあり、独立した分野として確立したといわれている。また、中盤に土浦市長の挨拶があり「土浦花火づくし」という主催者が日本煙火協会茨城県支部の協力を得て提供するスターマインが一列に並んだ4か所から約10分かけて同時に合計1000発も打ち上げられ、打ち上げ場所は全長500mにも及び、このスターマインは、この大会で毎年一番打ち上げ数が多い。
各部の打ち上げ場所はそれぞれ100m以上離れている。まず、スターマインは桟敷席の対岸にある市民運動広場の1ヵ所から打ち上げられる。桟敷席からスターマインの打ち上げ場所は100mと一番近く、真正面に打ち上げられる。また、スターマインの打ち上げ時間は5分以内で歌や曲に合わせてコンピューター制御で打ち上げられる。また、10号玉と創作花火の打ち上げ場所は一般観覧席の対岸である。
総合優勝者には内閣総理大臣賞(2000年の第69回大会より実施)、スターマインの部優勝に経済産業大臣賞、10号玉の部優勝には中小企業庁長官賞、創造花火の部優勝に茨城県知事賞が与えられる。花火競技大会で内閣総理大臣賞が与えられるのは土浦全国花火競技大会と大曲全国花火競技大会の2大会のみである。
ちなみに、大会の参加方法は事前選考を行わず業者も指定しないエントリー制(自由参加)となっており、この方法を採用している競技大会はこの大会だけである。
また、一般的な花火大会と違い、競技大会ということで全国の自治体や観光協会なども来年の花火大会の打ち上げ業者選定のために訪れる。そのため、大会終了後に商談が成立することも多い。このため、花火の見本市となっている。
歴史
1925年に市内文京町にある神龍寺の24代住職であった秋元梅峯が霞ヶ浦海軍航空隊と親交が深かったことから、航空殉難の霊を慰めるとともに不況で疲弊した土浦の経済を活性化するという趣旨で霞ヶ浦湖畔の埋立地で財産を投じて行ったのが始まりである。途中、第二次世界大戦による中断があり1946年に再開したが、あるとき、この住職の財産がなくなったため花火の打ち上げをやめようと考えたが当時の土浦市がこの花火大会を引き継ぐことを申し入れた。そして、日本煙火工業会(現在の日本煙火協会)の会長を務めた北島義一が入賞者に贈られる各賞典の確保など大会の運営に生涯にわたって尽力し日本三大花火の1つとして全国に知られるまでになった。1972年から現在の学園大橋付近の開催となった。再開後、開催が見送られたのは1988年(昭和天皇の病状悪化に伴う「自粛」)のみであり大会当日はこれまで雨や強風による順延がほとんど無い(最後に順延になったのは2006年で、10月7日の開催予定が前日の大雨による桜川増水のため順延予定日にない1週間後の10月14日に開催された。その前は1990年で、このときは長雨の影響で1週間順延して開催)。


花火会場
長岡まつり大花火大会(新潟県長岡市)
概要
8月1日から3日にかけ、長岡市内各地で行われる。内容は大きく分けて前夜祭・昼行事・大花火大会でありその他にも灯籠流しなどがある。
歴史
祭そのものの起源は1945年8月1日の長岡空襲からの復興を願い翌1946年8月1日に行われた戦災復興祭であるが花火大会の始まりはこれとは別で1879年9月14日と15日の2日間、千手町八幡様の祭りに長原などの遊廓関係者がお金を出し合って花火350発を打ち上げられたのが始まりと言われている。その後、本格的な花火大会となったのは1906年からであり現在の「長岡まつり」という名称になったのは1951年のことである。


三尺玉

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