日本三大
33 | 三大崩れ 出展:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』一部編集しております |
|
鳶山崩れ(富山県) 鳶山崩れ(とんびやまくずれ)大鳶崩れ(おおとんびくずれ)ともいうは、1858年4月9日(安政5年旧暦2月26日)未明に跡津川断層(富山県〜岐阜県)を震源に発生した大地震(飛越地震(ひえつじしん)により、鳶山の一部だった大鳶山と小鳶山が消滅、立山カルデラに大量の土砂が流れ込み大崩壊した災害のことである。 北陸地方や飛騨国を中心に甚大な被害を齎した。マグニチュードはM6 - 7を記録したとされている。家屋の倒壊も著しく、200 - 300人もの死者が出る大惨事となった。 富山藩士の体験記には地面が階段状に隆起した、水や砂が噴き出したなどと被害状況が描かれている。 21世紀初頭の時点で、約2億立方メートルの土砂が立山カルデラ内に残っており、流出してしまうと富山平野が厚さ2メートルの土砂で埋没するという(砂防工事が行われているため、すぐに土砂が流出することはない)。 |
||
稗田山崩れ(長野県小谷村) 稗田山崩れ(ひえだやまくずれ)は、長野県小谷村にある稗田山が1911年8月8日に大崩壊(山体崩壊)した災害のこと。 標高1428m。安山岩質溶岩と凝灰岩の互層からなる。直下には、姫川の支流である浦川が流れる。 1911年8月8日未明、山頂北側斜面が突如として大崩壊し、土砂が直下の谷を埋め死者26名の被害を出した。土砂は渓谷であった浦川を埋めるに留まらず、姫川の合流点で堆積。長瀬湖という天然ダムを形成した。このダムの湛水したことから急遽、地元住民らの手で排水路の設置による災害対策が講じられたが功を奏せず、一部が決壊。大量の土砂が流出し、下流の糸魚川市内にまで被害が及び、姫川沿いの多くの家々が居住不能、田畑は耕作不能となった。この結果、集団移転する集落や一家離散する家々が相次いだ。 翌1912年の梅雨期にも天然ダムは再決壊したほか、稗田山の再度崩壊もあり、復旧途上にあった地域経済にとどめを刺している。 |
||
大谷崩れ(静岡県) 大谷崩(おおやくずれ)は静岡市内を流れる安倍川の源にある大谷嶺(標高1999.7m)の宝永地震(1707年)による山体崩壊である。 富山県の鳶山崩れ、長野県の稗田山崩れとともに日本三大山岳崩壊(一般に日本三大崩れ) と呼ばれる。なお、地元では「崩れ」でなく「崩」と表記する。 この崩壊のときに、崩落した土砂が安倍川を堰き止め下流に滝を作った。この滝は土砂のために真っ赤な水を流し続けたことから、「赤水の滝」と呼ばれている。 現在でも大雨の後には多量の土砂崩落が見られる。 そのダイナミックな形状とともに、春の新緑、秋の紅葉、冬の雪化粧など景観に優れることからその下まで訪れる観光客も多い。 |