日本三大

 27 三大急登

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飛騨山脈・烏帽子岳へのブナ立尾根
烏帽子岳(えぼしだけ)は、飛騨山脈中部にある標高2,628mの山。
頂上部にオベリスク(縦長の柱状の岩)がある特徴的な山容を持つ。東側の高瀬ダムからの登路であるブナ立尾根は標準的な速さでも登った場合4時間ほど急登が続き、笠ヶ岳の笠新道、燕岳の合戦尾根とあわせて北アルプス三大急登といわれる。

烏帽子岳
赤石山脈・甲斐駒ヶ岳への黒戸尾根
甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)は、赤石山脈(南アルプス)北端に位置する標高2,967mの山である。峻険な山容をもち、半ば独立峰のような姿勢で屹立する日本アルプス屈指の名峰。日本百名山、日本百景の一つにも数えられている。 「駒ヶ岳」の名を冠する独立した山は全国に18山あるが、その中ではこの甲斐駒ヶ岳が最高峰である。
長野県側(特に甲斐駒ケ岳と木曽駒ケ岳に挟まれる伊那谷周辺)では、甲斐駒ケ岳を東駒ケ岳(ひがしこまがたけ)、木曽駒ケ岳を西駒ケ岳と呼ぶ。
南アルプスの山々は、高い標高と大きな山容をもってはいても、全般になだらかな稜線を連ね、鋭角的な姿をした山は多くない。しかも、仙丈ヶ岳など南アルプスの他の多くの山は、前山に阻まれて人里からは間近に見えないことも多い。これに対して、甲斐駒ケ岳は、山梨県側の山麓から一気に2500m 程の標高差をもって立ち上がっており、中央本線沿線からもその全貌が望まれる。ピラミッド型の頂上の脇に摩利支天(2820m)の岩峰を配したその姿は颯爽としており、山麓から見上げる姿はまことに印象的である。さらに、水成岩の山が多い南アルプスの中で、例外的に火成岩である花崗岩からなるため、山肌が夏でも白く望まれることも、駒ヶ岳の個性を際立たせている。(他方で、土壌は乏しく、一般登山道付近には高山植物の楽しみは少ない)このため、甲斐駒ケ岳は古くから多くの人々に名山として称えられ、詩歌に歌われてきた。作家の宇野浩二はこの山を「山の団十郎」と評し、江戸時代の僧侶海量は、「甲峡に連綿として丘壑(きゅうがく)重なる 雲間に独り秀づ鉄驪(てつり)の峰」とその姿を漢詩に歌っている。
甲斐駒ケ岳はまた、古くから信仰の対象ともなってきた。山梨県側の山麓の横手・竹宇両集落には駒ケ岳神社が鎮座しており、そこから山頂にいたる黒戸尾根には現在も信仰にまつわる多くの石碑や石仏が残る(八合目付近には鳥居が立っていたが、2003年に倒壊した)。標高は3,000mに達しないが、非常に人気が高く、登頂者の多い山である。


北杜市より望む甲斐駒ヶ岳
上越・谷川岳への西黒尾根
谷川岳(たにがわだけ)は群馬・新潟の県境にある三国山脈の山である。頂部は二峰に分かれており、それぞれ「トマの耳」(標高1,977m)、「オキの耳」(標高1,963m)と呼ばれる。日本百名山の一つ。
周囲の万太郎山・仙ノ倉山・茂倉岳などを総じて谷川連峰という。
元来この山はトマ・オキの二つ耳(2つの頂上の意)と呼ばれ、谷川岳の名は隣の俎嵒(マナイタグラ)に与えられていた。しかし、国土地理院の5万分の1地図の誤記のために、トマ・オキの二つ耳が谷川岳と呼ばれるようになった。トマの耳(標高1,963m)には薬師岳、オキの耳(標高1,977m)には谷川富士の別称がある。
広義には、一ノ倉岳などの周囲の山域も含めて「谷川岳」と呼ぶこともある。
一ノ倉沢などの谷川岳の岩場は、その険しさから剱岳・穂高岳とともに日本三大岩場の一つに数えられ、ロッククライミングのメッカとなっている。
谷川岳の標高は2,000mにも満たないが、急峻な岩壁と複雑な地形に加えて、中央分水嶺のために天候の変化も激しく、遭難者の数は群を抜いて多い。1931年(昭和6年)から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によると、2005年(平成17年)までに781名の死者が出ている。この飛び抜けた数は日本のみならず世界のワースト記録である。ちなみにエベレストのそれは178人である。1960年(昭和35年)には、岩壁での遭難事故で宙吊りになった遺体に救助隊が近づけず、災害派遣された陸上自衛隊の狙撃部隊が一斉射撃してザイルを切断、遺体を収容したこともあった(谷川岳宙吊り遺体収容)。こうしたところから、谷川岳は「魔の山」とも呼ばれる。
また、気象の厳しさから標高1,500m付近が森林限界となるために比較的低い標高で高山植物が観察でき、首都圏から近いこともあって多くの登山者が訪れている。そうした登山者の中には気軽に訪れる者も少なくなく、急激な気候変動によって遭難する者が跡を絶たない。


谷川岳

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