日本三大

 23 三大貿易港

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千葉港(千葉市)
千葉港(ちばこう)は千葉県の市川市・船橋市・習志野市・千葉市・市原市・袖ケ浦市にわたる港湾。港湾管理者は千葉県。港湾法上の特定重要港湾、港則法上の特定港に指定されている。貨物取扱量は全国第 2 位(1 億 6,956 万トン、平成15年度)、貿易額は全国第 8 位(3 兆 0318 億円、同)、コンテナ取り扱い実績は全国第 17 位(42,650 TEU、同)。
千葉港は、東京湾奥部にあり、北は市川市より南は袖ケ浦市まで海岸線の総延長約 133 キロメートルと、京葉工業地域のほぼ全域にまたがる工業港である。港の面積は 24,800 ヘクタールで日本一を誇り、日本三大貿易港の一つに数えられる。
港は、最北の市川市から時計回りに、A 葛南西部地区、B 葛南中央地区、C 葛南東部地区、D 千葉北部地区、E 千葉中央地区、F 千葉南部地区、G 八幡地区、H 五井地区、I 姉崎地区、J 北袖ケ浦地区、K 南袖ケ浦地区の 11 地区に分かれている。
千葉中央地区の蘇我地域には、JFEスチールがあり、企業城下町となっている。
千葉港の主要な取扱貨物は、原油、石油製品、LNG(液化天然ガス)、鋼材、重油、鉄鉱石などであり、重化学工業の産業機能集積港となっている。臨海部の埋め立てと企業誘致によって拡大してきたことから企業専用施設が多く、現在でも港湾取扱貨物の9割以上は企業専用岸壁で取り扱われている。
1 日に 1 - 2 便ではあるが千葉ポートサービスにより遊覧船が運航されている。


千葉港のシンボル(千葉ポートタワー)
名古屋港(愛知県名古屋市)
名古屋港 (なごやこう) は、愛知県名古屋市、東海市、知多市、弥富市、海部郡飛島村にまたがる港湾である。地元では名港(めいこう)という略称でも呼ばれる。
港湾管理者は愛知県、名古屋市が設立する特別地方公共団体(一部事務組合)の名古屋港管理組合。管理組合管理者は愛知県知事と名古屋市長が2年交代で就く。組合の実務トップは3人いる副管理者の1人「専任副管理者」が担う。
港湾法上の特定重要港湾、港則法上の特定港に指定されている。
横浜港(神奈川県横浜市)
横浜港(よこはまこう)は神奈川県横浜市の東京湾岸にある港湾である。港湾管理者は横浜市。港則法上は京浜港横浜区と称する(京浜港は、他に川崎区(川崎港)と東京区(東京港)がある)。安政6年6月2日(1859年7月1日)開港。金港の別称を持つ。
関税法施行令上の開港で日本の主要な国際貿易港(五大港)のひとつ。スーパー中枢港湾の指定を東京港と共に受けている。また、日本三大貿易港の1つに数えられる。
横浜港は安政5年6月19日(1858年7月29日)に締結された日米修好通商条約(安政五ヶ国条約)に基づき安政6年6月2日(1859年7月1日)に武蔵国久良岐郡横浜村(横浜市中区の関内付近)に開港され、生糸貿易の中心港としてまた京浜工業地帯の工業港、東京の外港として大きく発展した。
当初は現在の神奈川県庁本庁舎付近(中区日本大通)にあった運上所(税関)の沿岸に東西2つの波止場が設けられて貿易が始まったが、大正期間にかけ新港埠頭などの港湾施設が整備されたことにより神戸港とともに東西の国際貿易港として日本の近代化を牽引した。
第二次世界大戦の際の空襲とその後の連合国軍駐留により大きな打撃を受けたものの、昭和25年(1950年)制定の港湾法に基き、翌昭和26年(1951年)には横浜市が港湾管理者となり戦前の国営港湾から終戦直後の連合国軍接収時代を経て市営港湾化された。昭和25年(1950年)に制定された横浜国際港都建設法の下、国際港都・横浜の中心的施設として整備。現在では横浜市の東京湾沿岸ほぼ全域に広がり、10ヶ所の埠頭と249のバース(岸壁)を有する。しかし周辺の東京港・千葉港などの発展に伴い、その相対地位は徐々に低下している。外貿コンテナ取扱個数は東京港に次ぐ国内第2位であり、東日本を代表するコンテナポート。またクルーズ客船の発着港としても寄港数で平成15年(2003年)に初めて国内港湾第1位となって以来、その地位を保っている。
入港船舶数は全国1位(43,400隻、平成17年(2005年))、海上出入貨物量は全国2位(1億3328万トン、同)、外国貿易額は全国3位(104億円、同)。


横浜港大桟橋

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