日本三大

 16  三古橋

各種HPからまとめました。
宇治橋(京都府宇治市/宇治川)
宇治橋は伊勢の神宮の内宮の参道口にある長さ101.8m、幅8.42mの木造の和橋(わきょう、日本風の橋)で、橋の両側に神明鳥居がある。五十鈴川に架けられたこの橋は内宮参拝時の記念撮影の名所になっており、内宮のシンボルとされています。
神宮の定義では宇治橋を渡った先は神域ではなく神苑ですが、崇敬者・参拝者は通常神域と扱うことから、一般に「俗界と聖界の境にある橋」とされています。
この橋の上を1年間に400万人以上が往復するといいますから、20年間に1億人近い人々が渡る計算になり、厚さ15センチの檜材の橋板が4~6センチも摩擦ですり減るといいます。
明治以降は神宮式年遷宮にあわせて架け替えられていました。
太平洋戦争での日本の敗戦直後に昭和天皇の指示で第59回神宮式年遷宮は無期延期とされ、のちに4年遅れの1953年(昭和28年)に行なわれることに決まりました。
しかし宇治橋だけでも架け替えようと声が強く、宇治橋だけが当初の予定通り1949年(昭和24年)に架け替えられ、以降は神宮式年遷宮の4年前に架け替えられるようになりました。
4年前に架け替えるようになったので社殿の造営と期間がずれ、遷宮に必要な大工の数が減らせるようになるとともに、遷宮に対する参拝客の興味を長く引き止めることができるようになり、遷宮の資金面で役立っているそうです。
造り直された橋では渡始(わたりはじめ)の式典が行われます。
渡り始めには神領民の中から選ばれた3世代の夫婦が先頭を歩き、その後を全国の3世代夫婦63組が続きます。
 
瀬田唐橋(滋賀県大津市/瀬田川)
滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋です。
長さが260mあり、滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡ります。
勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われています。
歌川広重の『近江八景』のうち『瀬田夕照』はこの橋の風景を描いたものです。
琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしかありません。
瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われました。
本格的には近江大津宮遷都の時に架橋されたと考えられますが、当時は現在の位置より65m南の龍王社・雲住寺を東端としていました。
 
山崎橋(京都府八幡市・大山崎町/淀川)
市の重要文化財に指定されています。
山城国山崎?橋本間(現在の京都府大山崎町?八幡市橋本間)で淀川にかつて架かっていた橋です。
行基が神亀2年(725年)に架けたと伝えられる。
たびたびの洪水で流され、嘉祥3年(850年)にも架橋の記録はあるものの、11世紀にはいったん廃絶されました。
豊臣政権下で一時復活されましたが、その後失われてからは現在に至るまで再建されていません。
橋が失われた後は1962年まで渡船が運行されていました。
 
山崎橋跡

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