日本三大

 12  三大山城

各種HPよりまとめました。
岩村城(岐阜県岩村町)

美濃岩村城は木曽山脈の懐に抱かれた高原盆地にあります。
戦国の世、女城主が君臨した歴史があり、標高721mの全国で最も高いところに天然の峻剣な地形を利用して築城されました。
中世から近世へ683年間連綿として続いた日本城史にも例を見ない長い歴史をもつ名城です。
戦国時代には武田、織田、徳川の接点として幾多の戦乱を経ている。甲斐武田軍の侵入のとき城主遠山景任は没し、その妻(女城主とは彼女のことである)が事実上の城主として采配をふるいました。
木曽路が近く岩村城跡からは、はるか御嶽山も望まれます。
また、平成2年に復元された太鼓やぐらのある曲輪では歴史を偲び毎年夏、薪能が行われています。

 本丸虎口の石垣(六段壁の異名を持つ)
高取城(奈良県高取町)

奈良盆地と吉野地方との間に障壁のように連なる山塊中の高峰にあり、近世の山城としては異例の高さと規模を有しています。
標高583.9m、全国で最も比高(山頂と麓の高低差城の入口黒門から390m、城下町の中心札の辻から446m)があり、中世の山城(カキアゲ城)が築かれて以来幕末まで 600年余りの歴史を持ちます。
規模においては、日本一の山城です。
高取城は南朝の雄、越智邦澄が高取貝吹山に築城したのがルーツとされ、今も越智居城跡が残っています。
その後高取城は、越智氏失権後1580年代に豊臣秀長の重臣、本多氏によって本格的な近世の山城として、整備されました。
その様式は山城式に平城式手法を加えた山平城様式で大天守と小天守、27の櫓、33の門を持つ壮大なものでした。
続いて藩主となった美濃源氏の流れをくむ植村氏は幕末まで14代234年間藩政を司り、幕府の要職(老中格)を勤めています。

 高取城 天守台
松山城(岡山県高梁市)

山陽と山陰の間に連なる吉備高原の峰、臥牛山大松山(480m)に砦が築かれ、後に小松山(430m)に築城されてから750余年の歴史が刻まれます。
その間に、秋庭、高橋、高、上野、庄、三村、毛利、江戸時代に入り小堀、池田、水谷、浅野、安藤、石川氏が代官、城主となり、最後の藩主板倉氏7代125年を経て幕末に至っています。
小堀遠州は備中松山城、御根小屋の修築を開始し、水谷三代の間に備中松山城の大改修が行われ、現存する天守、二重やぐら、門など近世城郭の全容が完成しました。
またこの時代に玉島新田の開拓、高梁川の船運開発、玉島港改港工事などが行われました。
備中松山城は中世の遺構を備えた近世城郭であり、日本の山城の典型とも言われ、天守閣が現存する唯一の山城で日本一高い所にあります。
 
松山城本丸(平成の復元後)

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