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ナツエビネ自生の場所を尋ねて

2009年04月27日

下松から写真が届きました。

ご主人のコメント

先日、友達に誘われて、鎌倉期に名僧・俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が東大寺再建の用材を伐りだしたことで有名な滑国有林内の渓谷を歩いて来ました。
目的は、八月の中旬から下旬にかけて咲くナツエビネ自生の場所の情報を得たので、暑くなくて草木の繁茂していない今の内に、その場所を確認しておこうというものでした。

中国自動車道・徳地IC沿いのR489を北上して、大原湖上流の東側に位置する中国自然歩道に進入、大原湖に流れ込む四氏谷川近くに車を置きました(車の走行距離55km)。
四氏谷川沿いの四氏谷林道から苔むした大小の石や岩が横たわる渓谷に降りて、熊さんとの出遭いを避けて笛を吹き吹き、左右の沢を渡り返しながらエビネの葉を探して遡上しました。

当てにしていた付近一帯を二人で隈無く探したのですが、エビネの葉は有ったものの蕾を付けたキエビネだけで、目的のナツエビネは見つかりませんでした。

そのまま帰るのも釈然としないので、林道に上がって日暮ケ岳(三等三角点、標高694m)に登ることにしました。
林道の終点から山道に入って、急登の展望尾根を経て樹林帯を登り、日暮ケ岳の山頂に辿り着きました。
日暮ケ岳の南西の麓には「国立山口徳地少年自然の家」があり、ここから山頂まではハイキングコースが整備されています。
今回辿ったルートはガイドブック等による紹介も無いので、人の歩いた形跡はありませんでした。
その為か、途中に有った大小の多くのシャクナゲも、人目に触れない為に盗掘に合わずに済んだのでしょう。

帰路、大原湖の下流にある国の史跡「佐波川関水」に寄りました。
説明版を抜粋して「佐波川関水」について紹介します。

文治2年(1186年)東大寺再建(1180年12月焼失)の際、周防国は造営料国に当てられた。
国務管理の役に任ぜられた俊乗坊重源上人が陳和卿、番匠物部為里等を従えて佐波川奥地に入り建築用材を伐採して、直径15cmの綱で佐波川に運び込み流れを利用して瀬戸内へ運搬した。
その際に、佐波川の水深が浅いので水かさを増す為に水を堰き止め、その一隅に幅3m、延長46mの水路を作り川底を石畳として流水した。
これを関水(せきみず)といい、当時は28あったともいわれるが、現在はこの関水がただ一つ残っているのみである。
伐りだした木材は、長さ約30m、口径約1.8mにも達する巨大なもので、人力だけで谷を渡し山を越えて佐波川まで運ぶ作業は大変なものだった。
山から巨木を運ぶ為に、山の谷を埋め、橋を架け、岩を除いて道が作られ、その距離は総計約30kmにも及んだと伝えられている。
伐採や運搬は困難を極め、人夫の負傷や疲労の保養などの苦労は大変なものだった。
人夫は、周防国の家の5軒あるいは10軒毎に1人の割合で集められた。
良い木材を見つけた者には、1本につき米1石を褒美として与えた。
しかし、伐り出した巨木は130本にも及んだが、その中でも使用出来るものはほんの僅かで、検査に合格したものは「東大寺」の刻印が押された。

今回の目的・ナツエビネの在処は見つけられなかったが、爽やかな新緑の中、サツマイナモリやヒメバライチゴの群生等、多くの花に出会えて楽しい山行でした。
今回撮った写真を送ります。
  カンアオイの花(右下)   
   キエビネの蕾  
   サツマイナモリの花:群落が至る所に。  
   シャクナゲの蕾  
  タチツボスミレの花   
   チゴユリの花:日暮ケ岳の山頂近くの林床で。  
   ツルシキミの花:日暮ケ岳の山頂付近の林床で。  
  ヒメバライチゴの花;林道の両側の至る所に群生   
  フデリンドウ   
   佐波川関水跡:川原に山菜のひとつであるコゴミ(草蘇鉄)の群落。  
   四氏谷川の上流に高さ15m位の小滝  
   苔むした大小の石や岩で足場の悪い渓谷を遡上(四氏谷川)  
   大原湖の上流の風景  
   日暮ケ岳近くの尾根から遡上して登って来た四氏谷川方面(右側下方向)を見下ろす:後方に西中国山地の西端の山並み  
   葉の脇から垂れて咲いていたクルミの雄花  


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