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下松(くだまつ・山口県)の紹介 1

2008年10月10日
下松の紹介 その1です。
下松の由来が詳細に述べてあります。
最後まで、ご愛読ください。
その2は、明日投稿をする予定です。

ご主人のコメント

空の青さが一際濃くてさわやかな朝だったので、下松駅周辺を散歩しました。
午後からの毎日登山では、登り始めて間もなくすると汗が出るが、朝の散歩では肌寒さが感じられました。
朝の散歩も気持ちが良かったので数日続けています。
散歩をしながら下松駅近辺の写真を撮りました。
その中から、先ずは下松駅北口周辺の写真を送ります。
下松駅は山口県で最初の橋上駅で、JR山陽線で分断された北側と南側の市街地を橋で結んでいます。
北口前の右側には、下松発祥の地・金輪神社があり、境内に四世の”鼎(かなえ)の松”があります。
鼎とは三足、一対の耳を有する鉄の釜のことです。
この神社を含めて周辺の清掃を毎日行っておられる弘中義人さん(83才)が、私が立ち寄った時も清掃されておられ、清掃後の休憩時に”鼎の松”に関わる話を聞かせてくださいました。
そして弘中さんが図書館で文献を探して整理された資料も頂いた。
その資料を以下に長くなるけれども引用させて貰います(一部割愛と要約)。

今からおよそ1400年前は、今の下松を青柳浦(あおやぎのうら)とよんでいた。
その時は推古天皇(女帝)の時代で、聖徳太子を摂政にして国の政治をまかせていた。
この推古天皇の3年(595年)9月18日に都濃郡鷲頭庄青柳浦の松の木の上に、大きな星が降りて、七日七夜の間、目もくらむばかりに光り輝いた。
その時、占いをする人に、「われは北辰の精である。今より3年の後、百済の国の王子がこの国を慕って来朝されるので、その守護の為に、ここに天降ったのである」と神のお告げあった。
里の人々は、すぐに社を建ててその星を祭ったのが金輪神社である。
星が降りた松というのは、降臨(こうりん)松、連理松、相生(あいおい)松の三株からなる大きな松で、鼎の足の形をしていたので”鼎の松”とよばれている。
そこで、北辰の精が松の木に降(くだ)ったということで、青柳浦の名を降松(くだまつ)と改め、その後に今の下松と書くようになったといわれている。
予言通り三年後、百済の王子・琳征(りんしょう)太子が来朝し百済から持って来た北辰尊星の神体をまつり自ら星供養をした。
これが日本における星まつりの初めといわれている。
琳征太子の子孫は後に大内氏と名乗るようになり、代々北辰妙見大菩薩を氏の守護神としてうやまいまつった。
下松の名は「降松」の他に「百済津(くだらつ)」という説や、国文学者の中には「百済待(くだらまち)」即ち百済の人を待つという意味だという人もいる。

三世の”鼎の松”が下松スポーツ公園の温水プール建物の横に展示してあると言われたので行ってみた。
大きな古株だった。参考までに写真を合わせて送ります。

駅の北口前の通りの正面に塔が見えます。
これはふるさと創世事業で建てられたもので、”星の塔”とよばれ下松のシンボルとされています。
こ塔のある地は”港の見える公園”と名付けられていますが 塔の展望台に上がっても周囲に木が繁っていて何もみえません。
 

   下松駅橋上から北口の眺め  
   下松駅北口・中央に下松駅  
   下松駅北口前の通り・駅方向に向かっての眺め  
   下松駅北口前の通り正面に下松市のシンボル星の塔が見える  
   下松公園(港が見える公園)に建つ星の塔  
   下松中学校  
   下松発祥の地・金輪神社のある金輪公園 右後方に鼎の松(四世)、中央後方は五世  
   橋上駅の下松駅  
   松の木の上に星が降ったという”鼎(かなえ)の松”(四世)  
   中央左端の赤い屋根が下松駅、その手前の緑が金輪公園、左手前が下松中学校  
   鼎の松(三世)・下松スポーツ公園の温水プールの建物横に展示してある  


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