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軍師・黒田官兵衛ゆかりの地ウオーキング

ご主人のコメント

先日(3/25)、家内、義姉、姪達と中津市(大分県)の「黒田官兵衛ゆかりの地ウオーキング」に参加して来ました。
NHKの大河ドラマ「軍師黒田官兵衛」のゆかりの地とあってか、参加者は1200人だったとのことで驚きでした。
観光ガイドさんの話でも、中津市は官兵衛人気で連日大盛況だそうです。

官兵衛ゆかりの史跡を見学しながら約6km、2時間30分の歩きで、各ポイントには現地説明のガイドさんが待機しておられました。
今まで、私は中津市が黒田官兵衛のゆかりの地とは知りませんでした。
今回のウオーキングで、黒田官兵衛の九州平定にまつわる多くの逸話を聞きました。
その中でも、合元寺の赤壁や官兵衛が九州を手中にし家康と天下を争おうとした話は初めて知りました。
「軍師黒田官兵衛」を観るに当たって、今後のドラマの展開が楽しみになりました。
関門橋:壇之浦PAにて。黄砂で視界不良。
中津城:九州攻略後、黒田官兵衛が築城し、初代城主となった。中津藩最後の藩主・奥平家の甲冑や古文書などが展示。
中津城:三斎池からの眺め。現在の天守閣は、昭和39年に建築。
天守閣から北方の眺め:中津川の河口。
城井神社:中津城で黒田氏に誘殺された宇都宮鎮房の埋葬の地。中津城の守護神として鎮房の霊が祀られている。
黒田官兵衛が築いた本丸南側の「穴太積み」の石垣:石は全て花崗岩の自然石で、黒田時代の典型的な石垣。
中津城のおかこい山:外堀と中掘の場内側に、掘を掘った土を使用し、城下強化の為に盛った土塁。土塁が残る城下町は九州では中津城が唯一。自性寺周辺にて。
自性寺墓所に河童の墓:自性寺の和尚が中津の女性などに取り憑いた河童を仏縁により改心させた。寺には河童の書いた詫び証文があるとのこと。
諸町通りリを往くウオーカー:「中津城」界隈から町屋づくりのレトロな町並が残る。
合元寺(通称:赤壁寺):黒田氏が中津城内で前城主・宇都宮鎮房を討ち、合元寺で待機していた従臣達を全て謀殺。そこの壁は侍達の血のりで赤く染まり、血痕が何度消しても浮き出てくるので壁を赤くしたといわれている。
合元寺:赤壁の庫裏。
合元寺:庫裏内も赤壁、柱には当時の刀傷が残っている。
円応寺(通称:河童寺、瓦に水の文字)黒田官兵衛開基の寺。境内の「河童の墓」は黒田二十五騎の一人・野村太郎兵衛の墓塔であるともいわれている。
 円応寺境内の河童の墓:和尚が河童に説法し、仏教に帰依して寺の守り神になったという話が由来。  
 円応寺境内の河童の池:小さな枯池でした。  
 中津城:本丸の東側・薬研掘からの眺め。中津川の河口を利用して築城。掘に海水を引いた城は、日本三大水城のひとつ。  
 福沢諭吉旧居:1歳6ヶ月から19歳までを過ごした家。  

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