198

瀬戸内の河津桜

下松から198号の写真が届きました。

ご主人のコメント


昨日、朝起きて窓を開けたら視界が澄み渡っており、天気も良くて先日までの黄砂が嘘のようでした。
昨年、車の補助金の期限間際に購入した車が6ケ月点検を控えているのですが、走行距離が未だ1000km余りなのでも少し距離を稼いでおこうと思 い車で出かけることにしました。
出かけた先は周防大島で、大島大橋を渡って約27km離れた小月の河津桜園です。

この桜園は、ミカン園だった段々畑に2005年から住民がコツコツと苗木約100本を植えて育てたそうで、肥料が効いているので枝が良く張ってい て花付きがとても良いとのことです。
海の向こうに四国を望む桜園は評判となっているようで、昨日もウィークデイなのに多くの人が訪れていました。

桜の開花状況は、残念ながら散り初めで、しかも一昨日の風雨で一部に枝の折れたのも見受けられ、花も痛んで褪せていました。

帰途、陸奥記念館まで足を延ばして公園で昼食を摂り、作詞家の星野記念館に立ち寄りました。
小月の河津桜が見頃を過ぎていたので、笠戸島の河津桜が気に掛かり寄ってみました。
ここの桜は丁度満開でした。

参考までに
戦艦陸奥について(インターネットより引用)
戦艦「陸奥」は、名実共に世界最強の軍艦(全長224.94m、排水量39050t)として長い間連合艦隊の旗艦と して活躍していました。
当時40センチ砲を装備した戦艦は世界中で「陸奥」「長門」のみでした。
昭和18年6月8日、周坊大島沖の柱島泊地の旗艦ブイに繋留中であったが、正午過ぎに謎の大爆発を起こし、艦体 を分断して瞬時(約2分後)に1121人もの将兵と共に瀬戸内海深くに沈みました。
昭和45年から始まった戦艦「陸奥」の引き揚げ作業で、艦体の75パーセントが回収されました。
散華された英霊の冥福を祈り戦争の悲惨さを後世に伝え末永く平和を願うために建てられた陸奥記念館では、引き揚げられた艦の一部と、殉職将兵 1,121名の遺影や遺品、「陸奥」建造から爆沈までの資料を展示している。
周防大島(小積)の河津桜。
ミカン園だった段々畑に100本の河津桜。
開花状況:散り始めの状態(昨年よりも10日位開花が早いとのこと)。一昨日の風雨で花が傷んでいた。
小積の海岸(海水浴場)。黄砂の飛来が無かったので視界も良く海の色が綺麗でした。
帰途に立ち寄った陸奥記念館。
陸奥記念館近くの公園に展示のPS−1飛行艇:新明和工業(株)製。
帰路に立ち寄った星野哲朗記念館:周防大島は作詞家・星野哲朗の出身地。
笠戸島の河津桜。
笠戸島の河津桜;満開状態でした。
スミレの花:笠戸島で。
菜の花:笠戸島で。
椿の花:笠戸島で。


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