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雪吊りの金沢兼六園他下松から写真が届きました。
ご主人のコメント 三日目の旅程
ホテル (金沢市内)→金箔工芸館→ひがし茶屋街→金沢兼六園→(北 陸道)→九谷焼窯元→(北陸・名神道)→新大阪→(新幹線)→徳山
3日目も良い天気に恵まれました。 金箔工芸館・箔座で 黄金の茶室を見学して「ひがし茶屋街」を散策後、雪吊りの金沢兼六園に行きました。 ここ数年、降雪量が少ないので雪吊りの効果が発揮出来 なかったが、今年は大いに雪吊りが役だったとのことでした。 樹木の冠雪風景を見たかったのですが、2月に入っての温度上昇のせいか全て溶けていました。
今回の 最後の行程は九谷焼窯元で、敷設の食堂で昼食後、九谷焼展示場を見て回りました。 壺や獅子等の表示価格が高価なのにびっくりしました。 御老体の人が30数万円の壺を買っておられたのを見て更に驚きました。 九谷焼窯元を見学後、北陸・名神道を経て新大阪から新幹線で帰路に就きました。 1月末迄続いた日本海側の記録的な降雪に当初どうなることやらと心配だったのですが、ツアー参加全員の日頃の行いが良かったのか幸運にも 2月に入って好天気に恵まれました。
お陰で 道路事情も大変良くなっていて、予定通りの観光地を時間通りに巡ることが出来ました。 今回の3日間は、雪景色になかなかお目にかかれない私にとっては別世界の旅で、存分に雪景色を満喫出来て本当に楽しい旅でした。
参考までに ひがし茶屋街(説明板より) 藩政時代、金沢城下の入口にあたる北国街道の浅野川、犀川両大橋界隈には、お茶屋が建ち並んでいた。 文政三年(1820)になり、正式に加賀藩の許しを得てこの「ひがし」の茶屋町が犀川外の「にし」と共に開かれ、以来城下随一のにぎわいを見 せた。 通りに面して一階を揃いの出格子、座敷を備える背の高い二階を吹放しの縁側とする姿のお茶屋が並ぶ町並みは、藩政末期以来の茶屋町特徴を良く 残している。 今も夕暮れ時には芸子衆が行き交い、どこからともなく笛や三弦の音が聞こえる風情あふれる茶屋街町である。 |
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雪吊りの金沢兼六園。徽軫(ことじ)灯籠と霞ケ池。 | ![]() |
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徽軫灯籠は兼六園のシンボル的存在で、多くの観光客がここで記念撮影する撮影スポット。 | ![]() |
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兼六園のシンボル的な場所で、多くの観光客がここで記念撮影する撮影スポット。 | ![]() |
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徽軫灯籠は霞ケ池の北岸に配され、足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ていることから名付けられた。 | ![]() |
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雪吊りの金沢兼六園:唐崎の松・十三代藩主前田斉泰(1822〜1866)が琵琶湖の松の名所から種子を取り寄せ育てた。 | ![]() |
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雪吊りの金沢兼六園。 松の雪吊り | ![]() |
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雪吊りの金沢兼六園。 松の雪吊り (1) | ![]() |
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雪吊りの金沢兼六園。 | ![]() |
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雪吊りの金沢兼六園。 (1) | ![]() |
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霞ケ池の中の島で、蓬莱島といい、不老長寿をあらわしている。亀の甲の形をしているので、別名亀甲島という。 | ![]() |
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根上松:徽軫灯籠に次ぐ兼六園の名物の一つで高さ15mの黒松。 |
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根上松:大小40本の根が地上2mにまでせり上がった迫力のある奇観を呈している。13代藩主・前田斉泰が土を盛り上げて若松を植え、成長後に土を除いて根を表したものだと伝えられている。 | ![]() |
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ひがし茶屋街。 (重要伝統的建造物群保存地区) | ![]() |
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ひがし茶屋街。 | ![]() |
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最高級の金箔約4万枚を使って再現された豊臣秀吉の黄金の茶室(金箔工芸館・箔座本店) | ![]() |
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九谷焼の名品:作田利男作 醍醐花見の図 表示価格3000万円(九谷焼窯元・九谷満月にて) | ![]() |
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醍醐の花見の図:拡大 | ![]() |
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九谷焼:立獅子 表示価格294万円(九谷焼窯元・九谷満月にて) | ![]() |