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津和野

2010年11月22日

下松から写真が届きました。

ご主人のコメント

昨日、家内と二人で津和野を散策して来ました。
R9を北に向かって走っている時には、津和野の東側に鎮座するドーム型の青野山に登ってから津和野の町を散策する予定でした。
しかし、津和野へのシンボル的な朱の大鳥居を目の前にして、急遽、津和野を散策した後で余裕があれば青野山にと予定を変更し、大鳥居を潜って津和 野の町へ降りました。

先ずは、津和野の町から山間に10km近く離れた場所にある掘庭園に向かいました。
紅葉スポットとして広く知られているのですが、既に散った後で閑散としていました。
山間部なので紅葉時期が早く、見頃は2週間位前だったとのことです。

津和野の町に戻り、太鼓谷稲荷の広い駐車場に車を置いて、ここから津和野の町を歩くことにしました。
この駐車場からすぐ上に津和野城跡の石垣が樹木越しにかすかに見えたので、この城跡に登ってやろうと思っていたらすぐ近くに津和野城跡大手登山口 の標柱が立っていました。
山への入口に近づいたら、「7月17日に月の輪熊による人身事故が発生しました。登山道を利用しての入山は禁止します。城跡へはリフトを利用下さ い」の立て札がしてあり金網で入口が塞いでありました。
そこへ麓の人が来られ、その人の話によると、入口からすぐの所で登山者が熊に襲われて、膝から下を爪でザックリと引っかかれての大怪我だったとの ことでした。
リフトを利用しようかと思ったのですが、その人の話では、先日も鈴を持って山に登った人がおられ、保証は出来ぬが大丈夫ではと。
以前に磐梯山に登った時に弘法清水小屋で登山記念に買った熊避けの鈴が車に積んであったので、これを持って常時鈴を振り鳴らしながら登ることにし ました。
熊の居る山には何度も登っているものの、少し不気味ではあったが熊さんに出会うことも無く城跡へ無事に辿り着きました。
城跡の展望の良い本丸跡の広場で早めの昼食を済ませ、登って来た道をまた鈴を鳴らしながら降りました。
駐車場の近くの西周旧宅、森鴎外旧宅を訪ねた後で殿町通りに向かいました。
殿町通りは津和野観光の中心地だけあって、駐車場には多くの観光バスが待機していて、ツアー客達で賑わっていました。

殿町通りを過ぎて永明寺、乙女峠・マリア像、太鼓谷稲荷等を巡って駐車場へ帰りました。
昨日撮った写真を2回に分けて、永明寺以後は次に送ります。

長くなりますが参考までに(沙羅の木・松韻亭製作の津和野案内パンフレットより抜粋)。
1、津和野城趾(国指定文化財)文部省の指定史跡で、文永、弘安の役の勲功として西石見 の追補使(地頭職)に任ぜられた吉見頼行公が永仁3年に築城に着手したと伝えられてい る。 坂崎出羽守が慶長5年に入城後、本城の北200mの山頂に織部丸と称する出丸を 築城、城は明治7年に開城され、今日山頂には苔むす巨大な石畳を残 して歴史の跡を偲 ばせている。
2、西周(にしあまね)早くから和漢洋に通じ、29才で津和野藩脱藩後徳川幕府に仕えて 蕃書取調書に入り、幕命をもってオランダ・ライデン大学に留学し、帰朝後徳川幕府 を 補佐した。
 明治以降は西洋哲学を日本に紹介、とりわけ学術語の製作は最も有名。
 津和野出身で森鴎外と共に、文化人切手の中に収められている。


   掘庭園:かって石見銅山で繁栄した豪族掘氏の名園。津和野八景の一つで、紅葉スポットとして訪れる人が多いい。紅葉は既に終わっていた。  
   津和野城趾:標高370mの霊亀山の全山に広がる豪壮な山城跡。  
   津和野城趾:現在は石垣が残るだけだが紅葉狩りに人気。紅葉は盛りを過ぎていた。  
   津和野城趾 (1)  
   津和野城趾 (2)  
   津和野城趾: 山頂の広域に渡って築かれている石垣に驚き。大きな石をどのようにして運び揚げたのでしょう。
 
   津和野城趾:三の丸にあたる馬立、台所、海老の有った広場か本丸方向の眺め。  
   津和野城趾からの眺め:津和野川、津和野の町並みの後方にドーム型の青野山(津和野の散策後に青野山に登る予定だったが時間に余裕が無く断念)。  
   西旧(にしあまね:明治文化の功労者)の旧居  
   西旧の旧居  
   森鴎外旧宅  
   津和野観光で人気の殿町通りは多くの人で賑わっていた。  
   殿町通り:鯉の堀割りに人気。  
   殿町通り:鯉の堀割り (1)  
   殿町通り:大岡家老門(現在中は津和野町役場津和野庁舎)  
   殿町通り:多胡(城代家老)家の表門(間口4mの門構え)  
   殿町通り:藩校養老館跡の庭園。森鴎外の遺言碑がある。  
   殿町通り:カトリック教会。乙女峠の殉教事件をいたみ建てられた教会で礼拝堂は畳敷き。  
   高岡兄弟生誕地(兄直吉は札幌市初代市長、弟熊雄は第3代北海道帝国大学総長)。  
   奴行列:津和野藩主・亀井家が参勤交代した1650年代に送り迎えの行事として始まったとされているとのこと。  
   奴行列 (1)  


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